2017年8 月 7日 (月)

映画のエンドロールを見ないピープルです。 このエントリーをはてなブックマークに追加

 人間には2つのタイプがいる。映画をエンドロールまで観る人間と観ない人間だ。
 都心の非ハリウッド映画をかける単館系シアターでは、映画が終わりエンドロールが流れても誰ひとり席を立たないのが当たり前だ。エンドロールまで含めて作品であるという信念があるのだろう。
 僕は後者。さっさと映画館を出るのが男の美学だと思っている。それを学んだのは、今はなきやくざ映画ばかりかかっていた浅草名画座だった。
 やくざ映画にはそもそもエンドクレジットはない。でもこのホールで映画を観る男たちは、それどころか映画が終わる前にもう席を立つ。「終」の文字が出るころには、くわえ煙草で劇場のドアをくぐり抜けている。いやウソじゃない。そういう場所なのだ。
 さて、劇場公開のタイミングは逃してしまったが、映画『ワイルド・スピード SKY MISSION』の話だ。


 このシリーズの主人公たちは、元々はやんちゃな自動車レースをやっていたヤンキーの兄ちゃん姉ちゃんたちだ。それがシリーズが進み、いつのまにか巨悪を相手に窃盗や強盗をするプロ集団になっている。彼らの結束は固い。自分たちを仲間とは呼ばずファミリーと呼ぶ。そして、油断するとすぐに海辺でバーベキューを始めるし、なにかとビールを飲む(運転シーンとは直結しない!)。銘柄は、メキシコ産のコロナのみ。
 本作では準主役のブライアンに子どもが生まれるが、GT−Rやインプレッサのような走り屋仕様の車にしか乗ってなかった彼が、ついにミニバンを買う場面には爆笑した。
 『ワイルド・スピード』は、完全なるマイルドヤンキーの世界だ。この映画は「マイルドヤンキー」が日本のローカルな存在ではなく、ワールドワイドな存在であることを教えてくれる。
 そう、僕はこの映画を江東区のシネコンのオールナイトで公開初日に観た。普通、江東区のシネコンの客はエンドクレジットなんて見ない。ここは銀座じゃないし、そもそも走り屋向けのカーアクション大作『ワイルド・スピード』に来ている客だ。彼らの9割は、この近くにあるスーパーオートバックス東雲店を日常的に利用している人々。
 だが、この日、この劇場では上演後のエンドクレジットで席を立つものはひとりもいなかった。誰もが、このシリーズを準主役のレギュラーとして支えてきたポール・ウォーカーに敬意を表したのである。彼は、今作の撮影途中での交通事故(撮影とは関係なかった)で他界した。それは、作品の中でも明示される。
 このシリーズのラストでは、主人公のドミニク(ヴィン・ディーゼル)とポール・ウォーカー演じるブライアンが、互いの愛車で仲間同士レースをするのがお決まりなのだが、今作のラストで2人は別々の道に分かれて車を走らせる。そのシーンの意味を劇場にいた誰もが即座に理解した。そして僕らは、黙祷のかわりにエンドクレジットまで誰もが席を立たないという選択をしたのだった。
 この瞬間、俺らはただの映画の観客ではなく「ファミリー」になった。次は豊洲のオートバックスで逢おうぜ。

2015年10 月18日 (日)

『ONE PIECE』論(初出『新日本人論』) このエントリーをはてなブックマークに追加

「海賊王に!!! おれはなる!!!!」と言ったのはモンキー・D・ルフィだが、「海道一の大親分に!!! おれはなる!!!」と言ったのは、清水次郎長である。初めて『ONE PIECE』全巻を一気に読んだとき、真っ先に頭に浮かんだのは、子どもの頃に父からカセットテープを譲り受け、何度も繰り返し聞いた浪曲師2代目広沢虎造の次郎長一家の物語だった。


 移動の自由すらなくまだ身分制度が固定された時代に、自由気ままに旅から旅へと流れ歩いた渡世人=博打打ち集団は、ワンピースの世界で言う海賊のような存在だ。そして、大政、小政、豚松に石松と少数精鋭の個性的なばくち打ちたちのキャラクターが魅力の清水一家は、ルフィ、ゾロ、ナミ、ウソップ、サンジ、チョッパーらのルフィ一味のようである。ちなみに、主人公のルフィは次郎長ではなく、『次郎長伝』の最も愛すべき存在、喧嘩が強くて馬鹿正直で義理堅い森の石松だろう。


「次郎長伝」は、戦前の日本で最も人気のあった、今で言えばまさにONE PIECEのようなコンテンツだった。当時のナンバーワン浪曲師広沢虎造が次郎長の演目をやるときは、近所の風呂屋は空になったという。戦前の1930年代は大衆消費社会の始まりの時期。戦前と現代の最高のエンターテイメント作品の間には、意外と接点は多いのだ。


 1997年に『週刊少年ジャンプ』にて連載が始まり、今年(*2013年当時)で16年目に突入。コミックスの通算売り上げは、2億8000万部という、出版不況と呼ばれる昨今の事情を軽く吹っ飛ばすONE PIECEの人気の秘密を、この作品を読んだことのない人たちにもわかるように考察するというのが、本稿のミッションである。

■ヤンキー漫画とONE PIECE

 ONE PIECEは、麦わら帽子に短パンの主人公ルフィが仲間を集め、海賊船に乗って宝探しに出かける物語だ。海賊王ゴールド・ロジャーが、死に際に「ONE PIECE」と呼ばれる、富、名声、力をひとつなぎにする「宝」の存在を示し、そこから世界は大海賊時代を迎え、海賊たちが暴れ回る世界がやってくる。

 さて、過去のあらゆる漫画の中で、最も売れている人気作品ONE PIECEだが、決して万人に愛されている作品ではない。好きな人は好き、嫌いな人は嫌いと、はっきり評価が分かれるところがある。その分断のポイントははっきりしている。

 お笑い芸人で大学講師でもあるサンキュータツオによると、この作品のファン層とは、「ワンピースを卒業したらEXILEに流れるような人たち」なのだという。自身がアニメオタクである彼は、1人で世界と向き合う『エヴァンゲリオン』には共感するが、仲間と一緒に世界を旅するONE PIECEには乗れない派だ。同じ立場を示すのが、アニメオタクのタレントの原田まりる。彼女は「友だちのいなかった私には理解できない世界」がワンピースだという。ONE PIECEは、おたく層とは相性が悪いのだ。

 精神分析医の斎藤環もこれに近い見解を示す。斎藤は、ONE PIECEの人気とは、「“ヤンキーの1人も出てこないヤンキー漫画”を極めた」ところにあると考えているという(『世界が土曜の夜の夢なら ヤンキーと精神分析』)。一見、海賊が登場するファンタジーの世界のようだが、登場人物たちの行動原理や美学は、反知性主義、積極行動主義に代表されるヤンキー的なものとして説明できる。読んでいる層は、基本的にはそれを受け入れられる層ということだ。

 漫画評論家の紙屋高雪も、バトルを物語の中心としながら主人公が強くなる過程を描かないONE PIECEは、ヤンキー漫画であると指摘している。『ドラゴンボール』の孫悟空は、修行で自らの戦闘力を向上させていく。だが、ヤンキー漫画で登場人物の喧嘩の強さは、気合いや根性といった「非科学的要素」で決定づけられるのだ。ONE PIECEは、後者であるというのが、紙屋の主張だ。

 このようにワンピースの影、もしくは根っこにある「ヤンキー性」を、多くの論者が指摘しているのだ。そうとわかれば、ONE PIECEがこれだけ売れるのは納得できる。ヤンキーは、一部のマニアの集合体であるおたくマーケットと違って、一枚岩に近い巨大なマスマーケットだ。浜崎あゆみもTSUTAYA書店もケータイ小説もドンキホーテもディズニーランドも木村拓哉もJポップのレゲエカバーCDも『○型自分の説明書』もエルグランドもラウンドワンも、基本的にはこの国のもっともマジョリティ=ヤンキー的消費層によって消費されているヒット商品である。

 確かに、ヤンキーと仲間というマッチングはしっくりとくる。ルフィたち海賊が「仲間」を重視するのは、暴走族を形成したり地域の祭りで盛り上がるヤンキー的な世界の特徴とよく似ている。次郎長一家のような渡世人の世界でも、仲間は重視される。親兄弟の杯を交わすというシステムは、仲間を家族レベルに強化するための仕組みである。海賊も渡世人も、境界的存在であり、国家権力によって守られない存在。仲間との絆とは、敵の多い世界で身を守る術、つまり安全保障上の理由によるものなのだろう。

■ONE PIECEの組織論

 もうひとつ、ワンピース論でよく言われるのが、その組織の在り方についてだ。
 会社員にありがちなことだが、組織の一員であることが目的化すると、個々の意欲や仕事の質は低下する。だが、個々に目的を持って組織に参加しているルフィたちにそれはない。ルフィの目的は、海賊王になることだが、ゾロは世界一の剣豪になる夢を適えるプロセスとして、ルフィの仲間になっているし、ナミは、世界中の海の海図をつくるために海賊の仲間になっている。個々に意思決定を行うリーダーなしでも動ける「ヒトデ」的な組織体。ワンピースを組織論として語ると、だいたいこんなところだろう。
 以上で分析終了。というのでは、他人のふんどしで相撲を取ったに過ぎない。ここからは、もう少しだけその「支持される理由」について掘り下げてみた。

 ONE PIECEは、少年マンガの王道という評価がされることが多い。夢と友情で結ばれた主人公とその仲間たちが、敵を次々とやっつけていくという部分を観れば、確かにそうだ。だが、僕が本作に見いだしたおもしろかった部分とは、主人公と仲間たちではなかった。むしろ興味深かったのはむしろ敵の描かれ方だ。
 一見、種族・能力として強い敵を次々と描いているようにも見えるが、『ドラゴンボール』が、ナメック星人やサイヤ人といったように、種族として敵の強さのインフレを起こしていったのとは違う。ONE PIECEにおける敵は、組織の構造として強くなっていくのだ。


■ONE PIECEの敵に見る権力の派生の仕方

 

 ONE PIECEに登場する敵たちは、とても研究のしがいがありそうだ。
 犯罪会社のバロックワークスは、国境に縛られない現代の多国籍企業のような存在だ。幹部社員同士は顔も知らないという秘密主義は、部署が違えば何のプロジェクトなのかすら知らされないアップルのようだ。アップルは、スティーブ・ジョブズの辣腕ぶりだけが喧伝されるが、アップルが本当に独創的な製品を作り続ける理由は、実はこの秘密主義で結合された組織の部分が大きい。互いにやっていることを知らないからこそレベルの高い競争が生まれるのだ。

 そして、日常は平凡な人間の皮を被り、裏で権力を組織して、恐怖政治を行う海賊執事のキャプテン・クロ。彼の権力の掌握の仕方は、姿を隠してクメールルージュを組織した、カンボジアの独裁者ポル・ポトを連想させる。

 個人的に気に入った権力の在り方は、物語の前半に出てくる敵の「半漁人アーロン族」と王の座を捨てて海賊化した「ワポル」である。

 前者は、半漁人という種族としての優位性を持ちながらも、世界中の海を海図としてマッピングすることで権力の座を得ようとする組織である。いわばGoogleがマップサービスをもって世界政府化していく様子に似ている。

 後者は、国中の医者を追放し、政府お抱えの20人の医師「イッシー20」を組織化するワポルという権力者が統治する島のお話。人々は、国に忠誠を誓わないと医者にもかかれないのだのだ。実社会の国民皆保険制度はセイフティネットと考えられているが、考えてみればこれは医療の国家的独占をもって行う統治である。そんな具合に権力の在り方をついつい考えさせられてしまう。

 ルフィたちが戦うのは、単なる敵のグループではなく、こうした権力の掌握術や組織論に一家言を持つリーダーが生み出した権力による構造物である。それを、権力を掌握しないリーダー(ルフィ)によってつくられた組織(ルフィ一味)が、次々と撃破する痛快さこそが、この物語の人気の最大の理由なのではないだろうか。

 ワンピースの作者、尾田栄一郎は、決して王道マンガ家ではない。むしろ、変態的までの権力マニアだ。権力の現れ方、人民の掌握術などをかぎつける才能がすごい。彼がマンガ家になったからワンピースは生まれたが、別の職業に進んでいたらと想像すると恐ろしくもある。権力を批判するジャーナリストになっていたかもしれないけど、恐ろしい独裁者にもなれるかもしれない。もしくは、ブラック企業の経営者とか。
 そう、話は変わるが、「ブラック企業」なんて言い方もされるように、実際の社会において、身近な人を縛り付ける権力の主体とは会社である。非正規社員だの派遣社員だのと、働く側にとっては都合の悪いあれこれが押しつけられ、いつの間にか望んでもいないのに、僕らは悪の海賊一味の下っ端のような存在になってしまっている。

 現代の会社員たちは、モチベーションのほとんどを「生活のため」という目的に向けて働いている。だからこそ、「目的のため」「仲間のため」というモチベーションで動く、自由なルフィたちにあこがれるのだろう。

 

■現代のゴーイングメリー号?

 

 ピースボートというものを知っているだろうか? 「それまでの生活を抜け出したい」「何かを変えたかった」「自分を見つめ直す」または「世界を平和にする」などという「目的」を持った若者たちが集まって船で旅をするのがピースボートである。言ってみればピースボートは、現実社会のゴーイングメリー号(ルフィたちの海賊船。途中で壊れる)だ。


 社会学者の古市憲寿は、このピースボートに搭乗した海賊の一人である(かなり弱そうではあるが)。彼の書いた『希望難民ご一行様』という本は、その航海記なのだが、そこでの観察によると、ピースボートに乗る若者たちは船の旅の途中で夢(目的)への関心が薄まっていくのだという。それは、船の中で過ごす仲間との時間の楽しさの方が優先されるからだ。

 乗船者の多くは、そこで得た仲間と、旅の後も関係を維持して、当初抱いていた「目的」を忘れて、意識が低いまま生きていくという。つまり、仲間といると楽しいという「共同性」が「目的性」を冷却してしまうのだ。

 だけど、それも悪くないじゃないかというのが、古市の主張である。現実の日本においては、富や権力をひとつなぎにする宝=ワンピースは、先行世代の中高年層に独占されている。そんな何も持たない世代にとっての唯一の有効な武器、というよりも生活インフラに近い存在が「仲間」である。

 すでに強者と呼ばれる海賊たちが「偉大なる航路」に進出する中、若くて経験のないルフィたちは、後続者としてあとからその海域に向かわざるを得ない。彼らが航路を突破するために使えるのは、仲間という武器だけ。その構図は、現代の若者と同じなのだ。

「仲間」が、現代社会でかつて以上に価値を持ち始めている。ワンピースが流行るのは、そんな社会の姿と関係しているのかもしれない。

初出『新日本人論』(2013年12月刊 ヴィレッジブックス)


2015年5 月19日 (火)

島国ニッポンにおける「独立構想」の系譜 このエントリーをはてなブックマークに追加


日本という社会が抱えている閉塞感とは何か。領土を海で覆われた島国で、言語も通貨も国内限定流通するのみ。この国に生まれた人間の多くは、この国で生活し、子を産み、育て、そして死んでいく。

歴史を見ると、幾度も政治体制の変化を経てきたし、他国からの占領も経験したが、江戸の将軍も明治政府もGHQの占領もすべて、天皇というシステムを利用してこの国の統治を行ってきた。日本列島が一つの国としてイメージされるようになったのは、ごく近代のこととはいえ、まるで長きにわたって神の国が維持されてきたようなイメージさえ共有されている。

表面的には、極めて変化に乏しい国なのだ。人々は、むしろ変化に気づかないふりをすることに長けている。一例を挙げると、「敗戦」が「終戦」に書き換えられるのが典型的だ。変化を覆い隠す技術が磨かれてきたのだ。

一方で、この国では、幕末を舞台にした小説やドラマに人気が集まる。国の体制が、若い志士たちの力で変化する。そんなロマンに溢れた時代変革期に、活躍した坂本龍馬や木戸孝允といった人物たちは、とても人気がある。ただし、彼らを愛してやまないのは、もっとも変化を恐れる中高齢のビジネスマンたちである。彼らは、この国で最も変化を望まない人々である。

そんな変化に対するジレンマにあふれたこの国だからこそ、「日本からの独立」というモチーフを描いたフィクション群が、いつの時代にも存在するのかもしれない。この論考では、そうした「日本からの独立」物語の代表的なものを、簡単な分類とともに紹介しながら、「この国で独立を考えること」について考えてみたい。

■吉里吉里人と新左翼のその後

日本からの独立をモチーフにした小説でもっともよく知られているのは、1981年にベストセラーとなった井上ひさしの『吉里吉里人』である。

岩手と宮城の県境近くに位置する架空の山村「吉里吉里」が、ある時突然、独立を宣言する。彼らは4200人の国民と、公用語の「吉里吉里語」(実際にはいわゆるズーズー弁)を持っている。そして、「イエン」という独自通貨を発行し、科学立国という志を掲げている。彼らは、日本からの独立という行動を、数年の歳月をかけて計画的に準備してきたのだ。元々作物は豊富であり、農作物の自給率は100パーセント。エネルギーは、地熱発電所を擁しているため自前で賄うことができる。

この物語の舞台が東北であることには、大きな意味がある。東北は、東京を代表する都市部に食糧を提供する穀倉地帯であり、労働力の提供元だった。いわば、国内に存在する植民地と見ることができる(以後、そこに原発によるエネルギーが加えられることになる)。1970年より始まる、米の生産調整、減反政策は、その東北をないがしろにする政策だった。吉里吉里人の「日本からの独立」の背景には、そんな日本の政策転換があった。
 こうした日本からの分離独立を描く『吉里吉里人』の背景には、1970年代初頭の新左翼運動の挫折が透けて見える。

日本の新左翼運動が退潮する瞬間とされるのは、1972年のあさま山荘事件とその後の山岳ベース連続リンチ事件の発覚だった。連合赤軍の連中の一連の行動は、自らを兵士として鍛え(それ自体を彼らは「自らを共産主義化する」と呼んだ)、銃を使って政治体制の変更しようとしたが、その路線は完全に道を閉ざされた。
 その後、武力革命を強硬する路線を捨てた新左翼の運動家たちは、有機農法や消費者運動などを用いて、新しいコミュニティの実践に乗り出していく。このような新左翼運動の論戦変更、強行革命路線から自主独立への方向転換。これに、東北の歴史とアイデンティティという要素を重ね合わせたものが『吉里吉里人』なのである。

■独立国に軍備は必須か

連合赤軍が他の新左翼運動と大きく違ったのは、彼らが軍備を持とうとした部分だ。銃砲店を襲い、ライフルや弾丸を奪った彼らは、最終的に追い詰められたあさま山荘にて、警官隊との銃撃戦を繰り広げるに至る。一方、独自通貨から公用語、独自エネルギーまで兼ね備えた吉里吉里国だが、軍備となるととたんに心許ないものになる。吉里吉里国の陸空の防衛に当たるのは「吉里吉里防衛同好会」という頼りない名前の組織でしかなかった。それでも、軍備は独立国家に不可欠なものなのである。

軍事史家のマーチン・ファン・クレフェルトが1991年に刊行した『戦争の変遷』(日本版刊行は2011年)は、国家同士が、政府が使う軍隊同士で戦うような、「大規模な通常戦争ーー今日の主要な軍事国家が戦争と認識する戦争ーーは確かに消滅しつつあるのかもしれない」ということを前提として、新しい時代の戦争の在り方を示した。1991年は、湾岸戦争勃発の年だ。精密誘導ミサイルなどの新しいテクノロジーが登場し、「軍備」の意味する中身も様変わりしつつあった時代でもある。

冷戦構造が崩壊しクレフェルトが「低強度戦争」と呼んだ正規軍同士の衝突ではない戦争の時代の始まりの時代に『沈黙の艦隊』(かわぐちかいじ著、1988〜1996年)の連載は始まった。これもまた「日本からの独立」を描いた漫画作品である。

日米が極秘裏に開発した原子力潜水艦「シーバット」の乗組員である海上自衛隊出身の主人公たちが反乱を起こし、潜水艦を奪取する。核弾頭を搭載したミサイルを積んだ(と思われている)原潜をひとつの国家として捉える艦長の海江田四郎は、「やまと」の独立を宣言する。

この「やまと国」は、「吉里吉里国」とは対照的な国家である。「吉里吉里国」は豊穣な食物を生み出す領土と、その土地で生まれ育った国民で構成されるが、「やまと国」は、自衛隊の潜水艦の乗組員という形で集まった人々が、領土を持たないまま独立した国家だ。農産物など食料の生産能力はゼロである。あるのは乗組員という名の国民と、原子力発電によるエネルギー、そして核ミサイルという強力な軍備である。通貨も民主選挙もない。

吉里吉里国が、寒くて生きていくのに根気を必要とする東北という場所への強い(ナショナル)アイデンティティから生まれたのと裏腹に、やまとの元首である海江田四郎は、理念をもってこの「やまと」の建国に至っている。彼の理念とは、政治と軍事を切り離し、常設軍を持つ独立した超国家組織をつくるというものである。つまり、国家から軍事力を切り離すという社会実験のために、彼は「やまと」の独立を目指したのだ。その原点には、当時の日本の政治への不信や、日本という国の軍事力に対する理解への低さなどがあったのだろう。その意味においては、本作も閉塞感から生まれた「日本からの独立」という分野に属していると言えるだろう。

■オウム真理教のめざした独立国家

この『沈黙の艦隊』の連載期間と、現実の日本においてオウム真理教が世間に注目されはじめ、地下鉄サリン事件を首謀したことによって壊滅に追い込まれていく時期は、ほぼ重なっている。世界が、正規軍とテロリストが戦う「非対称戦争」の時代になっていった1990年代、日本も国内でもテロリズムとの戦いに巻き込まれていく。

1990年に大勢の信者を衆院選に送り込んで惨敗を喫したカルト宗教団体のオウム真理教は、選挙を経ての政治への参入という手法を諦め、方策の転換を図る。彼らも閉塞した「日本からの独立」という手法を模索し始めたのだ。

オウム真理教は、反近代、反資本主義的な信仰を打ち出しながらも、建国に当たっては、技術主導、資本主義での立国を進める。具体的には、科学力を持って毒ガス兵器の生成を行い、パソコンショップ、ラーメン店、カレー店の経営で資本を集めた。そして、彼らが独立国を開国しようとしたのは、山梨県上九一色村である。自らの組織の在り方も、日本の官僚組織を真似た省庁制として編成したことからも、もうひとつの「日本」を作ろうと考えていたのは明かだ。

疑似独立国「オウム」において国民は、もちろん教団の信者のことだ。彼らは、教団が持っていた科学万能主義への批判精神、オカルト趣味といった宗教観に引きつけられて集まった人々である。だが自分たちが社会から攻撃に去らされているという被害妄想とともに結束を堅くし、自分たちが「独立国」の国民という意識を強くしていく。オウムは、サリンを持って国にテロを仕掛けるが、自分たちの軍備というほどの装備や戦闘力までは持てなかったのは幸いだった。

■中学生たちによるヴァーチャルな独立国

村上龍は、『愛と幻想のファシズム』『希望の国のエキソダス』の二作で「日本からの独立」を小説で描いた。ちなみに、どちらも北海道での独立というモチーフを用いている。

この両作は、閉塞した日本社会の内部から変革しようとする人間が登場し、「日本からの独立」を実験として試みるというものだが、前者のアイデアの発展型として後者の作品が生まれているという関係にある。従って北海道独立をより具体的に描いたのは、後者の方だ。

1998年に連載が始まった『希望の国のエキソダス』は、近未来を舞台に、中学生たちが集団的な登校拒否状態に陥るところから物語が始まる。中学生たちの中から「ナマムギ通信」という会員制ネットを使い、全国の中学生を組織化する勢力が現れる。
 そのグループは、国際的なニュース配信会社を中心とする組織「ASUNARO」を立ち上げ、さらに国際金融市場で資金を手にし、北海道の自治体の財政を握り、移住を始めるのだ。彼らの組織は、会社という組織体の形を取らず、縦の命令系統を持たないネットワークである。2000年前後に書かれた作品にも関わらず、すでにソーシャルネットワークの登場を予言しているところも興味深い。

ASUNAROは、「日本国からの独立」を試みるが、あくまでも「実質的な独立」に過ぎず、敵対しない。ASUNAROは、破綻自治体を事実上買い上げ、そこにネットワーク上の会員たちを移住させる。ファンドを利用して導入した風力エネルギーの基地を立ち上げ、環境や社会貢献が控除される新しい法人税の制度を導入することで、世界の先端企業を集める。電子マネーを使った地域通貨によって、グローバルな金融資本主義と距離を置くという辺りは、2000年頃の左翼系知識人の間でもてはやされたトレンドだった。より現代的なシチュエーションでの「日本国からの独立」を描こうとしたのだ。

■梅棹忠夫の「北海道独立論」と蝦夷共和国

ちなみに、村上龍が北海道独立をモチーフにした背景には、民族学者の梅棹忠夫の「北海道独立論」の存在があるはずだ。梅棹の「北海道独立論」は、北海道が日本において、独立論の舞台になるにふさわしい歴史や思想が流れていることを指摘し、実際にその機運の元で、独立に等しい時代を持っていたことを書いたものだ。そして、北海道独立は、実際に成し遂げられたものでもあった。日本の内側に一瞬だけ存在した独立国は、フィクションではなく実在するのである。

それは、明治元年戊辰戦争のおりのことだ。江戸幕府の海軍副総裁榎本武揚は、勝海舟らが江戸城を明け渡した際に、全海軍を率いて江戸を脱出する。彼らは途中、会津戦争の残留勢力と合流し、北海道函館五稜郭に到達した。榎本はここを占領し、この地に仮政府を樹立する。さらに、彼ら仮政府樹立に辺り、大統領を選出のための選挙まで行っている。榎本は150点を獲得して当選。榎本らと行動を共にした陸軍奉行並の松平太郎が120点で猛追した。この仮政府は、半年を待たずに消滅するが、当時、榎本と会見した英国公使館書記官アダムズが、「republic」という表現を用いて自著で取り上げたことから、これを「蝦夷共和国」と俗称する動きが、のちになって出てきたのだ。

■最新型の独立国、坂口恭平「ゼロセンター」

さて、ここまでは現実、フィクション両方に現れる「日本からの独立」という様々な事例、作品を取り上げてきた。この閉塞感が蔓延する国では、いつの時代でも「独立国」が夢想され、ときには実行に移されてきた。そんな「独立国」の系譜に置かれた最新型の事例に、坂口恭平の「ゼロセンター」計画がある。

2011年3月12日の福島第一原発の爆発事故直後、熊本に逃がれた坂口恭平は、2011年5月15日に「新政府」の設立を宣言し、自ら「新政府初代内閣総理大臣」に就任した。熊本市内坪井町にある築80年の一戸建てを「ゼロセンター」と名付け、建国から一ヶ月で、東日本から避難してきた人々、計100人以上を宿泊として受け入れ、約60名を移住させた。この独立国宣言は、名目はアート活動であり、主催する坂口は、建築家でありアーティストである。

だが、この「ゼロセンター」は、アートと言い切れない危うく、そしてわくわくさせてくれる絶妙なバランスに置かれているのだ。放射能への恐怖、そして日本政府への不信という部分で人が集ってきたという経緯には、一歩間違えるとカルト化しかねない危うさも秘めている。だが、現代の資本主義や消費社会の在り方を否定しきらずに、逆手に取ってみせる坂口の手法は、多くのファンを獲得している。坂口は、路上生活者の生き方をベースとした、0円を基本としたスクワッター(無断占拠者)的なライフスタイルを提唱し、現状の国家とは別レイヤーに新政府を生み出そうとしているのだ。

そして、何より多くの人々をわくわくさせるカリスマ性を、坂口は備えている。ゼロセンターには、「ソーシャルネットワーク時代の独立国物語」という社会実験的側面もあり、「もし、顔のいい麻原彰晃が存在したら」といった見方もできる。現状、この「ゼロセンター」がどのような方向に進むのかが気になる。閉塞した日本の社会の在り方に一石を投じるところまではたどり着いている。その先の姿も、ぜひ見届けてみたい。


*上記は2013年4月に刊行された「踊ってはいけない国で、踊り続けるために ---風営法問題と社会の変え方」(磯部涼・編)に寄稿したものを一部改変しました。ゼロ・センター、いまはどうなってしまったんでしょう?



2015年4 月13日 (月)

村上春樹小説における「モヒート」「レクサス」から考える最新型高度資本主義社会 このエントリーをはてなブックマークに追加

 

■春樹と固有名詞

村上春樹の小説には多くの固有名詞が登場する。例えば「ヤナーチェク」。『1Q84』で取り上げられたヤナーチェクのCDがショップの店頭から消失し、急遽再発されるというようなことも起こっている。春樹経由でビーチボーイズを知った人も少なくないだろう。村上春樹の小説を読み解く上で、こうした具体的な固有名詞、文化記号に迫るというアプローチも可能だろう。ビーチボーイズ、ブルックスブラザーズ、マールボロ、トーキング・ヘッズ、ピナコラーダ、ソニー&シェール、シェーキーズ……。

さて『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』を読んでみて、漠然と気になった固有名詞は「モヒート」と「レクサス」の2つである。

『色彩を〜』で主人公の多崎つくると、そのガールフレンド木元沙羅が東京・恵比寿のバーでデートをするときに飲んでいたのが「薄いハイボール」と「モヒート」だった。モヒート。このカクテルが日本でブームになったのは2011年のことだ。この年サッポロビールと業務提携したラム酒メーカーのバカルディ・ジャパンは、ラムの消費量を増やすための目論見として、ラムを使ったモヒートを流行させるプロモーションに乗り出す。彼らは、サッポロの持つ販売ルートを用いて、バーやレストランなどでモヒートをメニューに加える提案、レシピの提供などを行うPR戦略を展開したのだ。

これと似た形でブームを生み出した酒類の前例として、「ハイボール」があった。2008年にサントリーが自社製品であるウィスキーの「サントリー角瓶」の販売量拡大のために、ハイボールの流行を生み出したのだ。サントリーは、缶入りのハイボール製品を開発し、ソーシャルメディアを使った販促を行った。さらには自社経営のバーや契約店のメニューにハイボールを展開。さらには、テレビCMも投入し、一旦は現代の酒場から消えたハイボールを復活させたのだ。

このサントリーのハイボール戦略の成功を手本にしたであろうバカルディは、同じようにモヒートのPRキャンペーンを成功させ、2011年、ついに夏に飲む酒の定番の地位をハイボールから見事に奪い取ったのである。

■カクテルと「高度資本主義社会」のルール
私たちが生きる世界とは「最も巨額の資本を投資するものが最も有効な情報を手にし、最も有効な利益を得る」というルールの上に築かれた「高度資本主義社会」であるという啓示を識したのは村上春樹である。彼が30年前の日本を舞台にして書いた小説『ダンス・ダンス・ダンス』でのことだ。ハイボールからモヒートへ。これは、まさに巨額の資本投資によってもたらされた「有効な利益」の結果である。

この『ダンス・ダンス・ダンス』という小説の主人公「僕」の職業は、フリーランスのコピーライターだ。広告業界の片隅で生きているが、この「高度資本主義社会」のシステムにはまだまだうまく適応できずにいる。誰もがそれに適応する中、彼だけはそれにとまどっており、それゆえに変人扱いされることも少なくない。「高度資本主義社会」。資本投下と回収によるシステム。それは、ゴージャスなホテルや国際的な高級コールガール組織からデュラン・デュランまでが同じシステムが運営され、なんでも経費で落ちる社会のことでもある。

この作品の中で「僕」は、ある有名作家の娘である13歳の少女「ユキ」の面倒を見るよう依頼される。とはいえ、彼がこの依頼仕事に応じて為すことと言えば札幌で「ウォッカソーダ」や「ブラディー・マリー」を、ハワイで「マティーニ」や「ピナコラーダ」や「ジン・トニック」を飲むことくらいだ。13歳の少女を連れ回し酒を飲むことで対価を得るのも、立派な「高度資本主義社会」の労働に他ならない。「僕」にとっての「高度資本主義社会」の実践の課程が13歳の少女と酒を飲むことだった。

ジンやウォッカといったベースとなる酒にフルーツジュースや別の酒を掛け合わせて作られるカクテルは、まさに「アルコール」という商品価値に別の付加価値を加えるまさに「高度資本主義」的な商品である。実際、村上春樹の小説には、多くのお酒、とりわけカクテルが登場する。冒頭に戻るが『色彩を〜』の主人公「つくる」と「沙羅」は「薄いハイボール」と「モヒート」を作中で飲んでいる。彼らも意識しないうちに、2010年代型の「高度資本主義社会」に生きているのだ。

■バブル、デフレを経て変化した消費社会

「世の中が少しずつ複雑になっていくだけだ。そして物事の進むスピードもだんだん速くなっている。でもあとはだいたい同じだよ。特に変わったことはない」(『ダンス・ダンス・ダンス』(上)より)というのは、この小説のファンタジーの部分である「羊男」の台詞である。これもまた「高度資本主義社会」とは何かを定義するフレーズのひとつだろう。

「だいたい同じだよ。特に変わったことはない」というのは本当だろうか。例えば、現代から『ダンス・ダンス・ダンス』が発表された1988年に示された「高度資本主義社会」の中身を眺めてみると、当時とは随分様相が変わっていることに気がつく。まず「この巨大な蟻塚のような高度資本主義社会にあっては仕事をみつけるのはさほど困難な作業ではない」(『ダンス〜』)というテーゼ、これはダウト! である。昨今の若年雇用問題に関心を寄せる赤木智弘辺りに聞かせたら激怒するだろう。バブル経済が崩壊しデフレが続く中で「巨大な蟻塚」はそれなりに制度疲弊が起こり、新しい蟻に密が行き渡らなくなった。若い世代の就職はわりと「困難な作業」になってしまった。また、主人公は「文化的雪かき」と自虐的に呼ぶライター仕事の数ヶ月分のギャラで、まるひと月遊んで暮らす資金としていたが、現代においては売れてもいないコピーライター、フリーライターのギャラはそんなに高くないとも僕の方から補足しておこう。

また、「ゴージャスなホテルや国際的な高級コールガール組織からデュラン・デュランまでが同じシステムが運営され、なんでも経費で落ちる社会」も、同様にダウトだ。「何でも経費で落ちたのは、単にバブル景気だったからだ」と指摘しているのは批評家の栗原裕一郎(「村上春樹『1Q84』をどう読むか」河出書房新社)である。みもふたもないが真実だ。どうだろう、マセラティ全額は経費では落ちないんじゃないだろうか。もちろん、1988年に刊行された小説が、バブル崩壊後の世界を予測できるわけではないので、春樹に落ち度があるわけではない。

■マセラティとスバルとレクサス

まあ大同小異は別として、消費社会の在り方については、複雑化し物事の進むスピードもだんだん速くなっているという見立ては、外れてはいないだろう。消費社会化の段階変化をシニカルに書くことについて、村上春樹よりもうまい作家はそうはいないように思う(双璧は、ある時期までの村上龍だった)。本作においては、「レクサス」という固有名詞を登場させることで、その役割を果たしているように思う。

『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』の登場人物「アオ」は、名古屋でレクサスの販売主任の仕事をしている。レクサスは、元々トヨタが1988年(まさに『ダンス〜』が書かれた年)に海外向けラグジュアリークラスカーであるセルシオを輸出する際に用いたブランド名である。BMWやメルセデスに比べると値頃で高性能という評判がレクサスに定着すると、今度は逆輸入という形で日本市場に投入される。日本で逆上陸という形でレクサスの販売が始まったのは、2005年のこと。つくっているのはトヨタだが「トヨタ」のブランドは前面に出していない。とても「高度資本主義社会」的である。

アオの勤めるショールームを訪ねたつくるが、最後に尋ねたのは「レクサス」の言葉の意味である。「よく人にきかれるんだが、意味はまったくない。ただの造語だよ。ニューヨークの広告代理店がトヨタの依頼を受けてこしらえたんだ。いかにも高級そうで、意味ありげで、響きの良い言葉ということで」

経済コラムニストのトーマス・フリードマンは『レクサスとオリーブの木』という本の中で「レクサス」を「冷戦システムに取って代わる国際システム」=グローバル化の象徴と見なしている。フリードマンが見たのは、300台を超えるロボットが1日300台のレクサスを製造する工場だ。「材料を運んでフロアを走り回るトラックさせもロボット化されていて、進路に人間の存在を感知すると『ビー、ビー、ビー』と警告音を発する」という光景が描写される。最先端の技術が集結した工場では、まさに人間が「阻害」される。そんなシステムの象徴としての「レクサス」。フリードマンは、レクサスは「わたしたちがより高い生活水準を追求するのに不可欠な、急速に成長を遂げる世界市場、金融機関、コンピュータ技術のすべてを象徴している」と言い切っている。

『ダンス・ダンス・ダンス』は村上春樹の小説の中でももっとも多く自動車が登場する作品かもしれない。主人公の高校時代の友人であり、売れっ子の俳優でもある「五反田君」は、マセラティに乗っている。彼が所属する事務所が経費として購入したこのマセラティは、海に沈めたとしても保険が下りるんだと五反田君も自虐気味に語る「高度資本主義社会」を象徴する自動車である。そして、このクルマは呪われたクルマでもある。最後に五反田君はこのマセラティとともに自ら海に飛び込んでしまう。
 そんなマセラティの対極に置かれるのは、登場人物の「ユキ」流に言えば「親密な感じがする」という目立たず実用的なスバルである。1980年代までの、つまりレクサス以前の時代の日本車の特徴と言えば、つまらないが堅実。つまり故障知らずで低燃費で低価格が売りだった。日本車が世界のクルマ市場で支持されたのは、まさに安さと堅実さ故だった。

だがレクサスはそういうタイプのクルマではない。値頃なラグジュアリーカー。それが、北米市場におけるレクサスの評価だろう。現代の日本のクルマメーカーは、安くて丈夫なクルマという分野ではもう世界では勝てなくなっている。日本がすでに人件費が安い国ではなくなった以上、新興国と価格で真正面から闘うことはできない。そんな中、トヨタが新にラグジュアリーカーの市場で勝負をするために生み出したのがレクサスだった。ちなみにスバルも30年経って、随分とポジションが変わった。現在は北米市場におけるスバルの需要というのは、堅実でつまらないクルマの逆。4技術志向かつ高品質のプレミアムカーとして高い人気を誇っている。

■モヒート測定法、団塊ジュニア、震災

もう一度モヒートの話に戻る。この作品におけるモヒートが持つ意味は、さして大きくはないが、少なくともモヒートはこの物語の年代特定を教えてくれる。

しれっと主人公がモヒートを頼んでいる。この物語の舞台となる年代は、モヒートブームの2011年、またはそれが定着した翌2012年の可能性が高い。そのどちらかだ。いい加減だが、モヒート年代測定法である。これに従うと、多崎つくるの生年は1974年、または1975年だろう。彼が仲間からひどい仕打ちを受け人生に変化が生じた16年前の大学2年の夏休みというのが「巡礼」の先だが、それが1995年か1996年ということになる。仮に、1974年生まれで、1995年が大学2年生、そして「今」が2011年とすると、これが阪神淡路大震災、東日本大震災の2つの出来事をなぞっていると捉えることができる。小説内で震災に触れられる気配はない。むしろ不自然なまでにそれを避けて通っている。これは、そのこと自体が著者にとっての関心事だからなのではないか。初期春樹作品における重要な主題である1960年代の学生運動に、まったく関心が無いふりを装って作品が書かれていたようにである。

本作は、春樹作品で初めて、団塊ジュニア世代を主人公として描かれた長編。春樹はこれまでの大半の作品で、自分と同年代の主人公の物語を書いてきたこともあり、団塊ジュニアが主人公であることは、本作を語る上で重要な要素だ。終盤近くには、つくるが新宿駅を訪れ、オウム真理教による地下鉄サリン事件について回想する場面がある。震災の年であると同時に、1995年は地下鉄サリン事件の年でもあった。

村上春樹の前作『1Q84』は、オウム真理教事件への関心から書かれた小説だったが、今作はそれを20才で迎えた世代への関心から書かれているように感じられる。春樹自身が属する団塊世代にとっての学生運動と、団塊ジュニア世代にとってのオウム真理教事件。これらはどれも「高度資本主義社会」を受け入れきれない人々による反発(もちろん、それは敗北する)であり、どちらの世代にとっても20歳前後の時期の出来事だったのだ。

初出:河出書房新社「村上春樹『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』をどう読むか」を大幅に改稿したもの。




2014年9 月 1日 (月)

『シャコタン☆ブギ』ジュンちゃんとジョン・ミルナーについて このエントリーをはてなブックマークに追加

この夏は『湾岸ミッドナイト』『シャコタン☆ブギ』を一気読みした。前者はともかく、後者が傑作であるということを再確認できたのは良かった。

『シャコタン☆ブギ』は、四国の地方都市を舞台にしたクルマとナンパに明け暮れる高校生のストーリー。実は『アメリカン・グラフィティ』が元ネタで、それを日本の地方都市のドメスティックな話として丁寧に置き換えている。

アメグラには、ケンカが強く、街最速のホットローダー、ジョン・ミルナーというキャラが出てくる。『シャコタン☆ブギ』でいうとジュンちゃんだ。彼は、ケンカも強いし、後輩思いなので誰からも尊敬される存在だが、街から一歩も出られない地元に止まらざるを得ない存在でもある。職業は、家の家業を継いで自動車整備工。

ジョージ・ルーカスの出世作である『アメリカン・グラフィティ』は、アメリカの黄金時代の終わりを示唆させた作品。舞台は西海岸の田舎町。金曜ごとにクルマで街に繰りだす若者たちが、ずっとナンパしたりしながら街を流している。

ミルナーは、街の片隅にある自動車廃棄場でつぶやく「昔はこの街ももっと喧騒に溢れてたよ」。映画が作られたのは、ゴールデンエイジと呼ばれる60年代が終わった直後。物語の最後で、彼はメキシコからやってきた若き日のハリソン・フォードが演じたホットローダーとのレースで、実質的に敗れてしまう。ルーカスは、アメリカにとっての青春時代の終わりを、このミルナーというキャラクターに象徴的に背負わせたのだ。

一方、『シャコタン☆ブギ』のジュンちゃんが背負ったものとは、90年代以降の地方都市の衰退そのものだ。マンガの掲載が始まったのは、1984年。主人公のハジメは、親にソアラを買ってもらうが、ソアラ登場から3年。その直後に、新型が登場して悔しがる話も登場する。

日本の地方都市も自動車産業も、まだまだ活気があった時代。それが、次第に変化していく様は、マンガの中でもそれとなく描かれていく。街の中心地が、郊外の海岸道路に映って、街中から若者が減ったという回が出てくる。車を改造する走り屋なんて流行らなくなって、それに変わる新たな若者文化が登場してくるという話も何度か登場する。

途中、主人公のハジメとコージは、バブル期で人手不足の折に東京のディスコにバイトに行くくだりがある。その数年後、再び東京に行くと、ディスコの時代は終わっていて、小箱のクラブの時代になっているというくだりがあるなど、時代の変化を捉える著者の視点は鋭い。

ラストまで読んだの、今回が初めてだった。連載終了は、同じ作者の『湾岸ミッドナイト』が、好評で連載化され、作者の興味もそっちに移っていったため、自然消滅的に連載が終了したようだ。ハジメがそれまでたくさんの思い出があるソアラを手放し、セルシオを手に入れることで、物語に終止符が打たれた。ジュンちゃんやサブキャラのアキラらは、走り屋としてそのまま人生を延長させるが、最後までナンパの道具としてしかクルマを見ていなかったハジメ(彼は、クルマはオートマで十分と思っている)は、改造されて最速化されたソアラに執着せずに、躊躇なく卒業していくのだ。

著者の楠みちはるは、この作品を卒業して、いつまでも青春を続ける走り屋たちしか登場しない(つまり、ジュンやアキラの側)『湾岸ミッドナイト』に精力を投入していくことになる。彼もまた、ジュンやアキラの側でマンガを描き続ける道を選んだのだ。

そんな『湾岸ミッドナイト』も作品としてのレベルは高く、名作なのだが、その話はまたの機会に。

関連記事:コリー・ハイムと1980年代の青春映画と『シャコタン☆ブギ』

 

2014年3 月25日 (火)

残念なニッポンのインターフェイスの話 このエントリーをはてなブックマークに追加

以下の文章の初出は、2011年2月号の『ユリイカ』ソーシャルネットワーク特集です。なので、3年とちょっと前ということになります。古くなったテクノロジー関連の文章は、いまとなって晒すのは恥ずかしいですが、我ながら支離滅裂ながら、それなりにおもしろかったので、最低限の修正だけ加えて転載しておきます。あと、長いので全部読まなくてイイと思います。

 

■(精)神はインターフェースに宿る

 数年前に流行した「もしも、あの会社が駅の券売機を作ったら」という匿名ブログ(通称「増田」)のジョークネタ投稿がある。

任天堂
    出発地と到着地をなぞると切符が買える
ソニー
    CPUから開発した超高性能マシンが出来上がる(ただし、切符が割高になる)
マイクロソフト
    出発地を入力し、到着地を入力し、出発時刻を入力し、到着予定時刻を入力し、経路を選択し、電車のグレードを入力すると買える
アップル
    画面内で到着地しか入力出来ないがなんとかなる
グーグル
    「○○から××」と入力すると地図と経路付きで購入する切符の候補を表示する
スクエニ
    指定されたミッションをすべてクリアすると購入できる(途中の駅ですべて昇降するとボーナスがつく)
ハドソン
    マイクで叫ぶ


この匿名ブログは極めておもしろい。単にネタのおもしろさとして優れている、というわけではなく、このジョークでしかないように見えるネタが、実は、その企業の本質そのものをえぐり取っているからだ。現代において、その企業の本質は、インターフェースに宿るのものになりつつあるからだ。

グーグルは世界中の情報を集めることを目標としている。ただし、膨大な情報はすべてバックヤード(クラウド)に隠している。そこへのアクセスは、たったひとつの窓口に、ワードを入力することのみによって許される。そして、情報の優先順位はグーグルが決めるが、あくまで選択はユーザーに委ねられる。

アップルは、とにかく「洗練」を追求する。アップル製品には、マウスでもiPhoneでも、ボタンが2つ並んでいるということが基本的に許されていない。さらに、シンプルさが極限まで追求される。フロッピーディスクがまだ使われていた時代に登場したiMacからはからフロッピーデッキが外されたし、iPodからは電源スイッチが外された。これらは、すべてジョブズの一存によって外されたのである。例え操作法がわからなくとも、選択肢がひとつしかないのだから顧客は迷わない。そういう装置をappleはつくるのだ


任天堂は、とにかく身体感覚に働きかける操作重視する。マイクロソフトは常にわずらわしくて官僚的で不親切。ニコニコ動画にとっては、とにかく失礼な弾幕を浴びせるユーザーがコア。後ろの2つは、厳密にはインターフェイスではないが、もうそれに近いものになっているといっていいだろう。


この「券売機」ジョークに取り上げられる企業は、どれも特徴あるインターフェースを備えている。そして、自前のサービス、プラットフォームを持ち、ある程度成功している、又は成功していた企業ばかりだ。独自のインターフェースを持ちながらも、それを普及させることに成功した企業ともいえる。

逆に、ここに登場しないNTTドコモやソフトバンクといった企業は、この「券売機」ジョークに取り上げられるほど、その企業特有の特徴的なインターフェースを持っていないということでもある。とはいえ、それなりにソフトバンクがつくる券売機は思いつく。例えば、複雑な分割払いで切符を売りつけ、最終的には割高の料金を取られるようなものだ。

企業における「インターフェース」の大切さは、ウェブ系企業の専売特許ではない。例えば、スターバックスなんかは、独自のインターフェースをもって成功した企業の1つかもしれない。あのグリーンのロゴと暖色系の内装や、カスタマイズ可能な注文システム、商品を受け取る場所がオレンジのランプの下であるといったおなじみの仕組みは、スターバックス特有の、しかもその企業の本質を示すインターフェースと言える。スターバックスがつくる券売機というのを考えることも可能だろう。


「券売機ジョーク」のフェイスブック版を考えてみよう。券売機の前に立つと、画面には、行き先の駅だけでなく、利用者の知人たちの現在地や最新のステータスが表示されている。そして、行き先の駅名を指定すると、いまその場所の周辺にいる人たちのつぶやきによる最新の情報が示されるはずだ。「リブロ渋谷店は定休日だった」だとか、「○○ショップで芸能人を発見した」といった具合にである。あらゆるサービスが「知人との関係」と結びいたものとして提供される。

フェイスブック券売機は、行き先の決まっている場所への移動においては魅力は薄いが、遊びに行く場合であれば、かなり使えそうだ。今日は大勢で飲みたい気分だから、友だちが集まっている新宿に行ってみるかなどといった具合に、行き先を検討するためのツールになるかも知れない。この場合、券売機はただの切符を買うための機械でなく、遊び場に接続するためのプラットフォームになる。

■ソーシャル・ネットワークとしての仮想空間OZ

 2009年公開のアニメ映画『サマーウォーズ』で描かれる仮想空間OZは、ショッピングが楽しめ、映画、音楽、ゲームなどのコンテンツにアクセスできるという一種のSNSのようなものだ。この中には、世界中の企業の支店が置かれているし、行政機関、地方自治体の窓口が納税から各種手続きを受け付けてくれる。そんな、あらゆるサービスが提供されるオンラインコミュニティが、暴走プログラムによってクラッキングされ、現実世界のインフラが麻痺させられてしまうという騒動(ハッカー用語で「ファイヤーセール」)が描かれる。

OZを考える上で重要なのは10億人というユーザー規模である。当然、多数の国籍をまたぐネットサービスが想定されており、さまざまな言語を持つユーザーが共存している。会話はリアルタイムで翻訳され、言語の違いを気にせずに会話ができる。OZの守り主の鯨のアバターが「ジョンとヨーコ」と名付けられているのは、「国境のない世界を想像してごらん」というジョン・レノンの歌が実現した世界ということなのだろう。作品内では、こうしたグローバルなコミュニケーションが牧歌的なものとして描かれるわけだが、実際にOZが存在するとすれば、それは牧歌的なだけではないはずだ。

映画公開当時、筆者がこの作品を観ながら考えたのは、OZの運営・管理主体はどこ国籍の企業、もしくは事業体なのだろうということだった。この世界の中ではどこの国の法律が適用され、どの通貨と結びついているのか? だが、フェイスブックという5億人(注:これ書いたのは、4年前です)のアクティブユーザーを抱えるソーシャルネットワークが登場した時代においては、それに気を回すことのナンセンスさに、頭の鈍い筆者でも気づかざるを得ない。

OZは、企業や事業体が、一枚岩で運営する巨大なウェブサービスではなく、プラットフォームなのである。おそらくは。個々のサービスは、共通化されたインターフェースの上でサードパーティのデベロッパーによって制作・運営されているのだろう。いまのフェイスブックは、まさにそういう存在になりつつある。2008年、フェイスブックはAPIをオープン化し、フェイスブック上で動くアプリや独自サービスの運営を許可し、他者がフェイスブック上でビジネスを自由に行えるようにした。CEOのザッカーバーグが以前から温めていたフェイスブックのプラットフォーム化戦略を一気に展開させたのだ。

フェイスブックは、翌年、「マイスペース」のアクティブユーザー数を抜いて世界一のSNSなった。調査会社のHitwiseは、2010年にフェイスブックがグーグルをトラフィックで抜いたというデータを示した(他の調査会社は違う結果を出ているが)。
「フェイスブックは国や年齢を問わずあらゆる人々のためにあります」(『フェイスブック 若き天才の野望』日経BP、訳/滑川海彦、高橋信夫)とザッカーバーグはジョン・レノンのようなきれい事を放つが、もちろんこのサービスの中では、とても牧歌的とはいえない出来事も起きている。サウジアラビアで、複数の男友だちを友人登録した娘を父親が殺すという事件も起きた。


ただし、こうした問題は孕みながらも、現在のフェイスブックは、いまだ世界が経験していない規模のネットサービスへと成長している。メディアや企業の多くが、自分たちのリンク先を公式サイトではなく、フェイスブックのファンコミュニティに設定する傾向が生まれ始めている。ミュージシャンたちが、レコード会社の公式サイトよりも、マイスペースを自分たちのアドレスにし始めたのと同じである。そちらの方が、情報の精度が高い信頼の置けるアドレスになりつつあるのだ。


フェイスブックは、すでに単なるSNSの運営主体ではない。あらゆるネットサービスが乗っかっていく可能性のあるプラットフォームである。ネット上のあらゆるサービスが、この上で開設される可能性がある。国家や行政機関の窓口ができたり、国際的テロ組織(例えばアルカイダ)のファンページが置かれたりするのは時間の問題のように見える。 

■内輪を再強化するソーシャルネットワーク

日本でフェイスブックが流行しない(注:当時そう言われていた)のは、匿名中心のインターネット文化を持つ日本に実名登録が基本のフェイスブックの文化に合わないからという分析がある。だが、それ以前の問題であるようにも思える。

サービス単体としてみた場合、日本でもっともフェイシャルブック的なツールは、ミクシィよりもむしろ「プロフ」や「リアル」と呼ばれるSNS群であるように思う。これらは、中小のサービス主体が運営するもので、主に中高生をターゲットにしている。ここにモバゲーやGREEといった、元々SNS、現在は主にソーシャルゲームの提供プラットフォームを加えると、日本のSNS事情がよく見えてくる。どれもが、ケータイ端末上で動くことを前提としたサービスなのだ。

日本でもっともヘビーに携帯電話を享受しているのは、一〇代のいわゆるギャル層である。いや、彼女たちは享受ではなく、もはや依存している。ポケベルの時代からこの年代がモバイルサービスを制してきたが、それがケータイ小説(「魔法のiらんど」も広義にはソーシャルネット)や西野カナ・加藤ミリヤの着メロディーヴァ系(もしくは“ギャル演歌”系(c)鈴木謙介)といった、コミュニケーション依存症な“あいたい・せつない強迫症”カルチャー(“つながりの社会性”(c)北田暁大)にまで発展。どこからとなく「日本の残念なインターネット」という言葉が聞こえてきそうだが、個人的には誇るべき文化なのだと思う。せつない……。


一方、米のフェイスブックは、創業者のマーク・ザッカーバーグがいたハーバード大学の寮名簿から始まっている。ファイナルクラブというハーバード大学の中のさらにエリートだけが選抜される秘密クラブのメンバーがつくった「ハーバード・コネクション」というサービスが、フェイスブックのアイデアの源だった。以後、フェイスブックは、有名大学を少しずつ引き込み、その学校のアドレスを持つ学生しかアクセスできない身内向けのSNSとして拡大していく。

アメリカでは、もっともPCを使いこなす層であるアイビーリーグのエリート大学の学生から派生し拡大したが、日本のSNSは、“ミクシィ”の一部を除いて、中高生のケータイユーザーに浸透した。

この辺りの差異に、日米のインターネット文化の違いなのかもしれない。つまりは、残念なインターネットとそうでないインターネットの。日米のSNSの発展過程は、まったく違う文化圏で発生し、違った発展過程を見せるが、どちらも内輪の強いコミュニティをさらに密接するという意味においては、そんなに大差はないかもしれない(モバゲーやGREEでゲームだけする層は別だが)。どちらもハイコンテクストであり、とても排他的だ。輪の外にいる人との関係をアシストしてくれる存在ではなく、内輪の関係を強固する。「更なるモテのため」((c)古市憲寿)にSNSは発展する。

さて、『サマーウォーズ』もそういう意味では、階層を描いていた。この作品への批判のテンプレとして、プレ近代な大家族がグローバルなネットに電話一本で立ち向かうという部分に非現実性が指摘されたり、昭和ノスタルジー乙といった揶揄が散見される。だが、これは間違っている。『サマーウォーズ』において、ソーシャルネット(OZはソーシャルネットのようなものである)で強化されるのがとてもドメスティックな、信州の真田家の末裔というレガシーシステムであるというのは、なるほど正しいチョイスなのではないか。

余談になるかもしれないが、貴志祐介の『悪の教典』も、強化された狭いソーシャルネットワークを破壊するきわめて現代的なサスペンスであった。

主人公・蓮実が受け持つ二年四組では、携帯を駆使したカンニングが跋扈し、学校裏サイト(これも小規模のソーシャルネット)でのコミュニケーションが盛んである。主人公である担任の蓮実は、サイコパスだ。このクラスを支配下に置き、好きなように扱おうとする。その彼が用いるのは、多次元尺度更生法による二次元分析チャート。クラスの生徒から集めたアンケートで集めた親密度を距離に置き換えて、「ソーシャルグラフ」(人間関係図)を作成するのだ。これによって、クラス内が5つのグループに分かれていることを把握。自分がコントロールしやすいグループとそうでないグループの中間にいる少女を陥落して情報屋に使い、情報を収集。邪魔な生徒を学校裏サイトを操作して、追い詰めていく。最後には、このクラス全員を崩壊に追い込もうとするのだが……余談だが、教室という人間間の狭い関係性を描いたおすすめの作品である。

■憎まれそうなニューフェイス

アンドロイド陣営とiPhone陣営のプラットフォームを巡る争いという構図で、経済誌などが特集をしている昨今。いまのところの主戦場は、そんな具合にスマートフォンの周辺のようだが、これはすぐにグーグルTV対アップルTVといった具合に移行するのだろう(注:しませんでしたねー)。今後もさまざまなデバイスで、グーグル対アップルのプラットフォームを巡る陣営競争は続きそう。

だが、前田敦子と大島優子がセンターの座を巡る熾烈な争いをしている内に(何度も言うが、4年前の記事の再掲です)、横から板野友美がソロデビューを決めたように(注:今何してるんだろう?)、現状のフェイスブックの勢いは、誰もが期待と疑問を持ちながら眺めているといったところだろう。特に、日本では普及していないこともあり、ピンと来ない部分も多い。

言葉を打ち込まないとどこにも到達できない砂漠の真ん中のようなグーグル的検索世界から、コミュニティありきのソーシャルネット的な世界へ。グーグルのトラフィックをフェイスブックが超えるというのは、こうしたインターネットの段階の変化を意味しているかも知れない。

個人的には、グーグルとアップルとフェイスブック(原注:アマゾンは棲み分けができそうだ)による、三つ巴のプラットフォーム争いが見たい気がする。まずは、世界の鉄道の券売機というデバイスを巡って熾烈に争うべきである。石原莞爾や諸葛孔明的に、三者が争いに疲弊したときこそ、日本のインターフェースがこのプラットフォーム争いに切り込みをかけるチャンスと見るのもいいかもしれない。せつない。

 

2014年2 月17日 (月)

飛行機の機内上映では絶対見られない! ハイジャック映画の世界へようこそ(後編) このエントリーをはてなブックマークに追加

ハイジャックムービーの歴史。前編はこちら。


■ビン・ラディンも観てた? 9・11以前のハイジャック映画

 2011.9.11のワールドトレードセンターへの2機の飛行機の衝突直後、この出来事をハリウッド映画のスペクタクルに例えてコメントをする知識人が後を絶たなかった。テロリストは、ハリウッドを模倣した。または、ハリウッドの想像力を現実が超えたといった具合。ではそのハリウッド映画とは、具体的にどの映画を指すのか。90年代後半のハリウッドは、航空機を使った自爆テロという題材の映画を、出来の良し悪しはともかくいろいろと生み出している。


エグゼクティブ・デシジョン』(1996年米)は、アラブのテロリスト集団が用意周到にカメラのパーツとして樹脂製の拳銃SIGを持ち込み、ワシントン行きのボーイング747飛行機をハイジャックするという内容の映画だった。彼らテロリストが要求するのは、投獄されている自分たちの組織のリーダーの釈放である。

そう、ここまではハイジャック映画のテンプレートである。だが、カート・ラッセルが演じる米陸軍情報部顧問のグラント博士は、このテロリストの要求がダミーである可能性を指摘する。彼が心配するのは、先だって盗まれた「神経ガス」の行方だった。これが飛行機内に持ち込まれて、さらに首都ワシントンに飛行機ごと墜落させるような自爆テロが仕掛けられたら大変。そんな最悪の時代が怒ることを博士は案じていた。

そんな心配性の顧問の想定の下、米国防総省は、スティーブン・セガール演じるトラヴィス大佐率いる突入部隊を乗せた輸送機(という設定のF-117)を、ハイジャックされたボーイング747の腹部にドッキングさせ、機内への侵入を試みる作戦を決行する。だがドッキング時のトラブルにより、トラヴィス大佐は輸送機の爆発で死亡してしまう。その一方、訓練を受けた軍人ではないグラント博士が、トラヴィス大佐の部下、民間人の技術者ケイヒルとともにハイジャックされたジャンボ機の側に残されてしまう。

案の定、テロリストたちの目的は、博士の予想通り神経ガスを搭載してのワシントンへの突入だった(この辺は、いかにもなご都合主義である)。彼らは、客席の中に紛れている起爆剤を持つ男と、テロリストのリーダーを割り出し、起爆装置の停止作業とともに機内突入のタイミングを計る。

この映画の落ちはこういうものだった。突入したグラント博士たちの目論見通り、テロリストたちの殲滅には成功した。神経ガスの起爆装置も無事ストップさせる。自爆テロという敵の計略は見事に食い止めた。だが、パイロットと副操縦士は撃ち殺されてしまっている。そこで活躍するのは、もちろん博士だ。セスナの飛行訓練を受けたことのあるグラント博士が、ワシントン・ダレス国際空港そばのセスナ用の小型滑走路に無理矢理着陸するのだ。

神経ガスというのは、この映画の背景には、オウム真理教事件の影響もありそうだ。しかし、現実の9.11のビンラディンの計画案の中にも、原子力発電所への突入というプランもあったようだ。幸運にもこの案はなぜか回避された。

■飛行機で護送中の犯人と二人きり!?

もう一本、自爆テロを試みるハイジャック映画に『乱気流/タービュランス』(1997年)がある。本作は、前半は銃撃戦のあるハイジャックアクション映画だが、後半は密室を活かしたサスペンス映画に変わる。

クリスマスイブの日、ニューヨークのJFK国際空港からロス国際空港へと向かうボーイング747(ハイジャック犯にはジャンボが人気。いまならA380になるのかな)には、5人の客しか乗ってない(設定に無理有り!)。だがそこに、2人の囚人と4人の警護の保安官が乗ることになる。囚人の一人は、態度の悪い銀行強盗犯。もう一人は、無実を主張する連続殺人犯のライアン。強盗の方が、トイレに行くとして付き添いの保安官を刺殺する。強盗犯は、保安官の銃を奪い、ハイジャックを決行する。だが、それをライアンが阻止し、乗客たちを救うのだ。だが、保安官たちと操縦士はすでに死んでしまっていた。

残されたのは乗客と、スチュワーデス3名、副操縦士、そしてライアンである。ハイジャック阻止の活躍もあり、ライアンの殺人罪の無実の主張を信じるスチュワーデスだったが、その後徐々にライアンの行動がおかしくなっていく。気が付くと他の乗客らが消えてしまい、スチュワーデスは、密室である航空機内に殺人犯と2人で取り残されていた。、映画のテイストはサイコサスペンスになっている。

ライアンは、機長や保安官らをシートに座らせて、その死体にデコレーションを施す。そして、スチュワーデスをいたぶりながら追い詰めていく。だが、最終的な彼の目的は、ロスの街中に飛行機を墜落させることだった。ライアンは自分が死刑を免れないと覚悟しているのだ。その目論見を阻止するため、ジャンボの後尾にはF-14が張り付いている。そんな緊縛する状態の中、スチュワーデスは機を着陸させようと挑む。

■9.11後のハイジャック対策の変化

『エグゼクティブ・デシジョン』『乱気流/タービュランス』は、それぞれテロリスト、サイコパスによる航空機を使った自爆テロがモチーフである。「テロリストたちは、ハリウッド映画を観ていて、その想像力を真似たのだ」だといった批評家がいたが、テロリストたちが観ていた映画とは具体的にこれらだったのかも知れない。

9.11事件以後、アメリカの航空会社は、大幅にセキュリティを強化する。例えば、操縦席のドアは、頑丈な鍵が取り付けられ、飛行中、離着陸時は鍵をかけるルールが徹底された。同時多発テロの2001年頃は、パレスチナ過激派の運動も落ち着き気味だったため、ハイジャック対策の重要性が低下していた時期だったという。『エグゼクティブ・デシジョン』にはハイジャック犯が操縦席に踏み込んで即「俺はパイロットだ」とパイロットに緊急時の警告発令の動作をさせないように機先を制していた。実際の9.11の犯人たちも、自爆テロに挑むために1年前から航空学校で操縦の訓練を受けていたという。また本作には、乗客の中に、拳銃を持った航空保安官が乗り合わせていたが、航空保安官の制度は1992年頃に専任制が廃止され、ボランティア制になっていたようだ。この制度は、9.11後に再強化され、数千人規模の専従要因が航空保安官として働いている。

また、『エグゼクティブ・デシジョン』『乱気流/タービュランス』ともに、いざというときにミサイルで撃ち落とすためのF-14(『トップガン』でおなじみの機体だが2006年に退役)が張り付いている。アメリカでは緊急時の「民間機撃墜権限」には、大統領の許可を必要とする(それが「エグゼクティブ・デシジョン」の題名の意味)が、この権限は、9.11後、アラスカ、アメリカ本土、ハワイの3地区の空軍最高責任者が独自判断で撃墜できるよう大統領より付与されたという。

■超駄作。悪魔崇拝のロッカーがハイジャック犯

もう1作、9.11前に公開された『デンジャーゾーン/タービュランス3』という映画がある。多分、こんな駄作はアルカイダだって観ていなかっただろう。内容はこういうものだ。悪魔崇拝的ショックロッカーの、スレイド・クレイブンがボーイング747の機上で、40名のファンを招待し上空ライブを開催。100万人以上が監視するインターネットライブが行われる中、ハイジャック犯はスレイドに入れ替わり、ライブのステージで機長を銃殺。ハイジャックグループは、本物の悪魔崇拝者だった……。

と設定だけ書くと、おもしろそうな気がするが、これがつまらない。冒頭15分で説明が済むような話部分を延々と伸ばし1時間かけたり、行き当たりばっかりでまったく話も前に進まない。途中、実は悪魔崇拝者が内部に入り込んでいたという展開を見せるが、それもなんの伏線もなしに進むから、それでどうと思わせることもない。

悪魔崇拝者が犯人というケースは、冒頭のハイジャックの区分で言えば「精神異常者」のケースになるだろう。実際、彼らはハイジャックをして要求を突きつけるが、その内容が「偽善のない世界の実現」というものだった。よくわからない。外部から航空機の中をウォッチしているハッカーも活躍する。彼は、飛行機の中で縛られている本物のスレイドが軟禁されている位置を、飛行機を3Dスキャンして探し出すことができる。まさにスーパーハッカー。なのに、なぜかホームページをプリントアウトしてから読んだりする。ハッカーとしては天才的なのに、パソコンは初心者みたいな。

映画は、軟禁されていたショックロッカーのスレイドがスーパーハカーの情報に従って犯人たちを退治して終わる。だが、敵の最後の一人である操縦士のルトガー・ハウアーが、突然自殺を図る。これで操縦できる人間が誰もいなくなる。悪魔崇拝者たちの目論見とは、1000万人がネット中継で見守る中、飛行機の乗客を道連れに自爆テロを敢行することだった。

だが最後はスレイドが、スーパーハカーのフライトシミュレーションの知識で誘導して着陸。航空パニック映画至上もっとも簡単に操縦できる機種だったようだ。どこをとっても駄作なこの映画だが、公開日が2001年5月13日。9.11のたった4か月前であった。まさか、テロリストたちはこれを見ていたりした? うーん。

■9.11以後のハイジャックムービー

話を進めよう。9.11以降のハイジャックムービーはどうなったか。取り上げるべきは、セミドキュメンタリーの『ユナイテッド93』だろう。

これは、アメリカ同時多発テロでハイジャックされた4機のうち、乗客たちの抵抗のためにテロリストたちが目的を果たせないまま墜落したとされるユナイテッド航空93便の離陸から墜落までの模様を映画化したものだ。機内で起こったことが丸々記録されていたわけではないので、多くの部分は想像で書き足されたフィクションではあるが、実際に機内から外部と携帯電話で話をしていた乗客から得た情報など、事実に近い側面もある。どのように現実のハイジャックが行われたかという想像をかき立てる作品である。

ハイジャックものの名作は、9.11以後ぐんと減ってしまう。ハイジャック映画は、残念ながら現実のハイジャッカーの想像力と密接に結びついており、両社を切り離すことが難いジャンルである。現実のスペクタクルが想像力を超えてしまうと、いくらハリウッドでもその先を生むことはできない。現代は、まさにハイジャックムービーが現実に負ける時代なのかもしれない。

さて、時代が少しもどって『コン・エアー』(1997)は、実際のハイジャック史やテロの現状とはまったく無縁な馬鹿ハイジャック映画である。これまでの原稿の流れの中に入れることができなかったので最後に回したが、「悪」とは何かを考える上でもっとも相応しい作品でもある。

『コン・エアー』とは、“囚人航空会社”の意味。凶悪な囚人たちを護送する飛行機が、囚人たちにハイジャックされる話である。とにかくいろんな悪党を取りそろえて、飛行機に乗せてみましたという「悪の総合百貨店」的な映画で、ハイジャック映画の分類で言うと「逃亡」に分類できる。

浮気した妻の一族を皆殺しにした男、粗暴な強姦殺人魔、麻薬王の二世、スティーヴ・ブシェミ演じるシリアルキラー。そして、そんな彼らのボスは、人生の大半を刑務所で過ごす犯罪の天才。頭が切れ、博士号を2つ持つサイラス。彼らが主な登場人物である。そんな極悪犯罪者たちの中で、仮釈放の予定のニコラス・ケイジ演じる主人公は、囚人仲間で糖尿病の黒人と看守の女性をかばいながら、彼らの逃亡計画を失敗させようと奮闘する。

脱出に成功した犯罪者たちが、レイナード・スキナードの『マイ・スウィート・アラバマ』をBGMに大騒ぎするシーンはブラックなジョークの場面だ。レイナード・スキナードはツアー中の飛行機事故で主要なメンバーが死んでしまった悲運のロックバンドである。

『コン・エアー』の納得しがたい部分は2つ。ひとつは、理知的な元軍人である主人公がニコラス・ケイジであるということ。もうひとつは、後半ラスベガスに不時着したあとに延々カーアクションが続くこと。これ以外は、痛快な作品である。

さて、ここまでたっぷりハイジャック映画について触れてきた。戦前から戦後へ、東西冷戦からテロリズムの時代へ。そして9.11以後。この記事はつたないながらもハイジャック映画で見る戦後の世界の政治史という内容になった。航空機、犯罪・テロリズム、政治、映画。ハイジャック映画を辿るということは、自ずとこの3つの情勢変化を辿るものにならざるをえないのだ。書籍の企画とまでは行かずとも、我ながらいい題材だなと思いながら書き連ねてみた。ここでは書き切れなかった重要なハイジャック映画もまだたくさんある。いつか、この内容で機内誌で連載してみたい。それが夢である。

 


【主要ハイジャック映画リスト】

高度7000米 恐怖の四時間(1959年)
吸血鬼ゴケミドロ(1968年)
ハイジャック(1972年)
オスロ国際空港 ダブル・ハイジャック (1974/英)
エンテベの勝利(1976年)
特攻サンダーボルト作戦 (1976)
サンダーボルト救出作戦 (1977)
エアポート'80(1979)
地獄のテロリスト/銃殺!レイプ!恐怖のフライト(1985)
デルタ・フォース(1986)
ハイジャック・パニック! 戦慄の847便(1988)
ダイ・ハード2(1990)
パッセンジャー57(1992年)
クリフハンガー(1993)
エグゼクティブ・デシジョン(1996)
エグゼクティブ・コマンド(1997)
乱気流/タービュランス(1997)
コン・エアー(1997)
エアフォースワン(1997)
スネークフライト(2006)
エアレイジ(2000)
エグゼキューター 復讐の黙示録(2001年)
エアースコルピオン(2001)
デンジャーゾーン/タービュランス3(2001)
エア・マーシャル(2003年)
リチャード・ニクソン暗殺を企てた男(2004年)
パニックフライト(2005年)
ユナイテッド93(2006)
スネーク・フライト(2006年)
デッドフライト(2007年)
乱気流 タービュランス・アタック(2010)

2013年9 月14日 (土)

飛行機の機内上映では絶対見られない! ハイジャック映画の世界へようこそ(前編) このエントリーをはてなブックマークに追加

ハイジャックが描かれる映画のジャンルがハイジャック映画である。

ハイジャック映画に出てくるハイジャック犯は、ハリウッド的な類型的な悪として描かれる。アラブのテロリストに悪魔崇拝者、凶暴な強盗犯にサイコキラー、南米の麻薬組織に精神異常者。ハリウッド映画におけるハイジャッカーたちの描写を振り返るだけで、ハリウッド版「悪の博物館」の一丁できあがりである。

では、さっそくハイジャックムービーの歴史を振り返りつつ、その犯人の描かれ方――つまりハイジャック犯のキャラ、動機、時代の情勢変化など――に触れていきたい。

■現実のハイジャックには3つの種類がある

まずは、現実世界の「ハイジャック史」を軽く振り返っておく。

世界で最初にハイジャックが発生したのは1931年のこと。場所はペルー。その世界初のハイジャック犯の目的は、上空から宣伝ビラをまくこと(!)だったという。なんと牧歌的な。さらに本格的なハイジャック時代の始まりは、第二次世界大戦後ということになる。

ルーマニアから民間機を乗っ取り、トルコを経由して西側社会に亡命しようとした犯人がパイロットを射殺する事件が1947年に発生した。これが政治的亡命を目論んだハイジャック事件の第1号である。しかもこれが飛行機乗っ取りにおける最初の死亡事件でもあった。

さて、ここでまずハイジャックを目的別に分けていみたい。ハイジャックは、大きく3つに分類可能である。

1つ目は、「逃亡目的」だ。歴史上もっともハイジャックが流行したのは、1961年頃のこと。これは、キューバが共産主義国を宣言した直後の時代。ハイジャックが発明されて以降、最も多く利用された人気ルート。それが、アメリカ発キューバ行きというコースであるという。アメリカとの国交がなくなった祖国への帰還を目的としたハイジャックが後を絶たなかった。さらには、アメリカで犯罪を犯した犯罪者が、逃亡目的でキューバを目指すというケースも多いようだ。

2つ目は、「政治目的」のハイジャックである。ハイジャックを有効なテロの手段として見出し、その手法を進化させたのは、マルクス・レーニン主義を信奉する過激左翼集団パレスチナ解放人民戦線(PFLP)だった1967年に勃発した大三次中東戦争で、アラブ連合の航空戦力は、イスラエルの航空兵力の前に2時間50分で壊滅した。この圧倒的な戦力差の下、アラブ諸国は通常戦力としてのイスラエルへの抵抗という手段を失なった。それと同時にテロ組織が生まれてきた。テロリズムとは、世界にその存在をアピールするための手段として生まれてきた。過激左翼集団、つまり「共産主義」は、あくまでも看板だった。この時代、アメリカやイスラエルといっ敵に抵抗する勢力の代表が、共産主義だったに過ぎない。その後は、こうした抵抗は「イスラム過激派」へと看板が変化する。話を戻すと、1968年のローマ発テルアビブ行きエルアル航空機のハイジャックを手始めに、PFLPは飛行機の乗っ取りという形式のテロを重ねるようになる。特に中東に多くの路線を持っていたTWA(当時)は、PFLPにとって「帝国主義の手先」(『戦後ハイジャック全史』稲坂硬一)であり、格好の標的でもあった。

3つ目は、「精神異常者の手によるもの」によるハイジャックだ。実は日本では、これを理由としたハイジャックが大半だという。つまりは、受験勉強に嫌気が差したなどのノイローゼから犯行に至るケースがこれに当たる。比較的最近の記憶に新しいところでは、フライトシミュレーションゲームで磨いた技を使ってみたかったという理由でハイジャックが行われた事件があった。1998年7月の「全日空61便ハイジャック事件」がそれ。犯人は航空機マニアで、実際に操縦桿を奪い、シミュレータで練習したとおりにレインボーブリッジをくぐるつもりだったようだが、実行する前に取り押さえられたこの3つ目のハイジャックのパターンは単独犯がほとんどなので、成功率は極めて低いという。


こうした3つのハイジャックの分類は、ハイジャック映画においてもそのまま使える分類法である。

ちなみにハイジャックは、通常の市民的な犯罪とはまったく違った性質を持った犯罪の分野である。ハイジャックは、ときに国境を越えるための緊急時の交通手段であり、またときに戦争に変わる政治的目的の遂行手段でもあり、また世界になんらかのメッセージを伝えるためのメディアでもある。ライト兄弟は単なる乗り物として飛行機を発明したが、それは同時に、ハイジャックという犯罪の発明でもあったのだ。

■ハイジャック映画とは何か?

ハイジャックムービーとは、基本的には「パニック映画」と「グランドホテル形式」を足したジャンルと考えることができる。パニック映画であるというのは当然である。乗り合わせた乗客と搭乗員と犯人、彼らはうまく対処しなくては全員墜落死するのだ。なんとか、その危機を切り抜けるための冒険活劇要素は必ず含まれる。

舞台は機内だけではない。地上(空港)の人々も登場する。事件を見守る管制塔、警察、空港職員、乗客の家族、そして犯人の協力者などである。機上と地上。ハイジャック映画では、ふたつの場所が舞台となり、複数の人々の群像劇として描かれることが多く、こうした形式は、「グランドホテル形式」と呼ばれるものに近い。

ハリウッドにおけるハイジャックムービーの歴史の始まりは、1972年のジョン・ギラーミン監督、チャールトン・ヘストン主演の『ハイ・ジャック』(原題:Skyjacked)と考えられている。この時代背景、監督の人選を思うと、ハイジャック映画は、パニック映画の一分野として誕生していると考えることができるだろう。


Airport
まずは、こちらを取り上げよう。空港を舞台としたパニック映画が『大空港』(1970年)である。舞台は大雪のシカゴのリンカーン国際空港。バート・ランカスターが空港長、ディーン・マーティンが機長、その愛人がスチュワーデスの制服が似合うジャクリーン・ビセット。着陸した便が雪でコントロールを誤り、滑走路をふさぐ事故が発生。そんな大忙しの最中、夫がダイナマイトを抱えて飛行機に乗ったと訴える夫人が現れる。どうやら仕事で失敗し、保険金目当てで飛行機に乗り込み、事故を起こそうとしているらしい。

これは、いわゆるグランドホテル形式の大作。この作品自体は、ハイジャック映画そのものとはいえない。むしろ、この後シリーズ化される『エアポート』を生むパニック映画という分野のはしりとなった一作である。

ハイジャック映画の誕生は、この大作の翌年の1971年。題名はそのものずばり『ハイジャック』なのだが、本作はミステリ仕立てである。ハイジャック犯が当初正体を明かさない。トイレの鏡に要求が書き込まれるところから始まるのだ。だが実は僕はこの作品を観ていない。なぜならDVD化もされておらず、ギラーミンのWikipediaの項目にも記述がない程度の作品なのだ。それでもデータベースサイトなどにあるあらすじを追うと、ハイジャック犯は、最終的にソ連への亡命を希望し、ラストではソ連兵に射殺されてしまう。とはいえ、東西冷戦といった政治的な状況を描いたわけではなく、ハイジャックの3つの動機で分類するなら「精神異常者の手によるもの」に類するようだ。これ以上は、観てみないとなんともいえない。

 

■とにかく標的はイスラエル

1970年代は、政治的なハイジャック事件の時代である。日本赤軍のメンバーが日航機を奪取し北朝鮮に渡ったよど号事件は、日本初のハイジャック事件である。犯人のリーダー田宮高麿による「我々は“明日のジョー”である」という、有名漫画の題名を誤って記した声明が有名である。彼らは、世界同時革命を目指す共産主義の信奉者で、アジアにおける一斉蜂起をめざして日本を飛び立つ手段として航空機を選択した。

1973~74年は、国際的にテロの脅威が高まり、中でもハイジャックの件数が月間20~30件を記録していたという、ハイジャック繁忙期だった。そんな時代を背景に作られたのがショーン・コネリー主演の『オスロ国際空港/ダブル・ハイジャック』(1974年)というイギリス映画である。本作は、ノルウェイの英国大使館が占拠され、同時に航空機もハイジャックされるという政治テロを描いている。

ハイジャッカーたちは国際的な左翼過激派集団である。これは当時の社会背景をなぞっているがどんでん返しが待っている。実は彼らは政治的なテロを装っているが……まさに『ダイハード』シリーズの原点である。意外な人物が犯人であるというミステリーでもある。

本作には犯人が刑務所にいる仲間の釈放を要求し、ノルウェイ政府がそれに答える場面がある。現実の「エールフランス139便ハイジャック事件」が起こるのは、この映画の2年後のことだ。アテネ発パリ行きのエアバスA300をハイジャックしたのは、「パレスチナ解放人民戦線・外部司令部」と西ドイツの「革命細胞」という極左組織だった。彼らは、この機をウガンダのエンテベ国際空港に強制着陸させ、ユダヤ系乗客を人質として残してイスラエルに服役している40名同胞の釈放を要求した。

この事件は、特殊部隊による人質奪還事件の成功例として知られる。徹底抗戦の姿勢を貫くイスラエル軍の人質解放作戦によって、犯人6人全員が射殺されたのだ。この事件は格好のアクション映画の題材となった。この事件 を元にした『エンテベの勝利』(1976年米)『特攻サンダーボルト作戦 』(1977年米)『サンダーボルト救出作戦』(1977年イスラエル)という3本の映画が作られている。

このハイジャック事件が、アクション映画の格好の題材であったのは間違いないがそれだけではない。イスラエル政府が、政治的な意図を持ってこうした映画をスポンサードしたのだ。そのことを指摘しているのは、パレスチナ出身の批評家サイードである。彼は「イスラエルが世界に対してうまく証明しようとしてきたのは、イスラエルこそがパレスチナ人の暴力とテロによる無実の犠牲者であって、アラブ人とムスリムはただユダヤ人に対する不合理な憎しみのためだけにイスラエルと衝突している」と指摘している。

簡単に言うと、イスラエルはハイジャックというテロリズムに手を焼いていた。そして、潤沢な資金でもってハイジャックが敗れる映画をスポンサードした。これはつまり敵対勢力であるアラブを悪者にするためのプロパガンダである。ハイジャックが敗れる映画にはこうした意味合いも含んでいるのだ。

80年代を代表するアクションスターの一人、チャック・ノリスの代表策である『デルタ・フォース』も、実在のハイジャック事件を元ネタとしていた。1985年に起きたイスラム聖戦機構がTWA機をハイジャックし、同志700名の釈放をイスラエル政府に突きつけたという事件である。

 

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カイロ発アテネ-ローマ経由ニューヨーク行きの航空機が、アラブ人テロリストにハイジャックされる。犯人たちの要求で機はベイルートに着陸。一方、事件を知った米政府は、人質救出任務を行う対テロ部隊デルタフォースを招集。すでに部隊を去っていたベテラン隊員のチャック・ノリスもこれに同行する。

飛行機の中でテロリストたちは、ユダヤ人と観られる乗客の選別を行い、米海兵隊員をリンチする。名前だけでなく、かつてのナチスに彫られた識別番号でユダヤ人であることが示される場面なども描かれている。映画の後半は、テロリストたちを、チャック・ノリスたちに完膚無きまでにやっつけるという勧善懲悪アクションだ。ミリタリー好きの少年時代を過ごした僕らはこの映画で特殊部隊が使用するウージー社のmini Uziを知った。映画の世界ではおなじみの兵器である。これは、狭い場所での使用を前提に設計された取り回しがきくイスラエル製のサブマシンガンである。Uziはおもちゃのエアガンもたくさんつくられた人気のある銃だった。

このB級アクションも映画がイスラエル軍の全面協力の下でつくられている。監督もイスラエル人である。80年代は、たくさんの戦争アクション映画が作られた時代である。僕自身もそんなミリタリー要素の強い映画のファンだった。中でも、特殊部隊がテロリストたちと戦うB級アクション映画はたくさん作られていた。当時の日本劇場未公開作で、ハイジャックをモチーフにしたものも少なくなかったようだ。それらのB級戦争アクションが生まれる背景に、プロパガンダ的な側面があるなど、もちろん当時は考えもしなかったことだ。

■内なるテロとの空の大決戦

90年代になると、過激派によるテロやハイジャックの標的はイスラエルという常識に変化が現れる。イラン・イラク戦争、東欧革命、ソ連解体、そして湾岸戦争を経た世界の政治状況は、より複雑なものとなっていた。より新しいテロリズムの時代が到来する。国民国家同士が国境越しに向かい合うような戦争の在り方がリアリティーを失っていった時代に、アメリカは、世界中、または国内に遍在するテロリスト立ちと向かわざるを得なくなる。ハイジャックの恐怖は、まさに内なるテロそのものだ。

その新しい時代の「恐怖」をうまく作品に活かしたのが、『エアフォースワン』である。本作は、物語の大半が飛行機の中という純粋な密室ハイジャック映画だが、ハイジャックされるのは豪華で最新技術の結晶である大統領専用機、そしてハイジャッカーに単身立ち向かうのは、ハリソン・フォードが演じるアメリカ大統領である。

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最高度のセキュリティを誇るはずの大統領専用機に、敵のテロリストを招き入れる内通者が潜んでいる。この設定は、テロの胞子を内側に抱く時代のハイジャックの在り方を象徴する。
 この映画で描かれる敵は、アラブではない。敵はロシア人の国粋主義者で旧ソ連体制を復活させようと考える共産主義者だ。ハイジャック犯は、ロシア軍・米軍の共同作戦によって排除されたカザフスタンの政治的指導者ラデクの釈放を要求する。

テロリストのリーダー(ゲイリー・オールドマン)は、「ソ連崩壊後のアメリカ式の自由経済主義がロシアを強盗と売春婦ばかりにした」と、アメリカ大統領を演じるハリソン・フォードをつるし上げる。この作品の制作は1997年。ロシアの急速な経済成長は、この映画の直後くらいからなので、この時点でロシアは負け組の感が強かったのだ。

釈放されるラデクは、カザフスタンの一般市民10万人を殺戮したソビエト出身の国家社会主義者。彼の釈放を祝福する刑務所内の共産主義者たちが、労働者たちの海を越えた団結を歌った共産主義革命のテーマ曲である「インターナショナル」を大合唱する場面がある。この『インターナショナル』をBGMに、飛行機内でハリソン・フォードとゲイリー・オールドマンが殴り合い、撃ち合いを演じる場面と合唱の場面がカットバックで映される。このシークエンスはこの映画の中でも最高の場面である。もちろん、最終的にはハリソンが勝利を収めて家族を守る。いつものとおりアメリカの平和は守られる。ちょっと共産主義がこけにされ過ぎた感がある。

さて、本作にはハリソン演じる大統領の演説シーンがある。彼は、カザフスタンの市民10万人が殺戮されたことを悼み、アメリカの軍事介入が遅れたことを謝罪する。そして、今後アメリカは自国の利益のためではなく、正義のために軍隊を動かすと宣言するのだ。このハリソン・フォードの宣言に対して大統領の側近は、世界はこのスピーチを賞賛するだろうが、自国民からは反発されるだろうとつぶやく。この辺は、昔の映画という感覚になる。

イラク戦争後、大量破壊兵器を巡る事実誤認が示され、アメリカの正義なき介入が批判されているいまとなっては完全に逆である。ビン・ラディンのパキスタンでの暗殺でもそういう気運があったが、世界はアメリカが「世界の警察」であることに疑問を持つようになっているし、アメリカ国内でもそれへの倦厭の空気が強まっている。

この映画の後、現実のアメリカ大統領が、映画と同じように世界にとっての悪(テロ)との独善的な徹底抗戦を宣言した。それは、映画の4年後、9・11直後のこと。もちろん、ジョージ・W・子ブッシュ前大統領である。9・11の同時多発テロでよく耳にした常套句に、「現実がハリウッドを模倣した」というものがあった。この演説こそがまさにそうだったのではないか。

ハイジャック映画の話は、またこのあとの後編に続く。ちなみに、この原稿の初出は映画同人誌『Bootleg』の「Noir」特集号に掲載されたものです。

 

 

2013年6 月11日 (火)

ゲンロンスクール:バブル読み解き講座第2回資料 このエントリーをはてなブックマークに追加


『杉山清貴JAL CM集』JALパック1985年『ふたりの夏物語』


山下達郎&竹内まりやCM集 with makotosuzuki


『1983JAL沖縄キャンペーン』

 
シンデレラ・エクスプレス』(1987、1992)


 
JR東海CM クリスマスエクスプレス (X'mas Express) 全編


『私をスキーに連れてって』(1987年)


スキードームザウスCM(1995)

 

2013年6 月 8日 (土)

非正規雇用時代のOLソング このエントリーをはてなブックマークに追加

1990年代に活躍し、OLという特定層からの支持を受けていた歌手に広瀬香美と古内東子という2人のシンガーソングライターが存在します。広瀬香美、古内東子の代表曲の歌詞をのぞき見すると、同じOLでもそのメンタリティは違うのがわかります。その違いを、90年代のどこかで起こった、労働環境の変化の痕跡が見えるような気がします。


  勇気と愛が世界を救う 絶対いつか出会えるはずなの
  沈む夕日に淋しく一人 こぶし握りしめる私
  週二日 しかもフレックス 相手はどこにでもいるんだから
  今夜飲み会 期待している 友達の友達に
  『ロマンスの神様』作詞:広瀬香美

 スキー用品のCMソングとして大ヒットした『ロマンスの神様』(1992年)ですが、ここで歌われているのはOLの合コンでした。
  週40時間という労働時間目標が明記され、さらに変形労働時間制=フレックスタイムが導入されたのは、1987年の労働基準法改正が最初でした。
 つまりは、平日は9時間、土曜日は半ドンで午前中だけ働くという戦後以来のサラリーマンの労働時間の基準がここで変わったのです。
 これらが導入された背景には、日本の長時間労働が不公平競争を生んでいるという諸外国の批判があり、欧米標準に倣うという趣旨のもとで週休二日制、フレックスタイム制が導入されていったのです。
 実際にこれらが定着するまでには時間はかかりました。`80年代半ばには大企業が先導する形で週休二日制を普及させていきましたが、この歌がつくられた1992年には、国家公務員にまで完全週休二日制が導入されました。

  Boy Meets Girl 土曜日 遊園地 一年たったらハネムーン
  Fall In Love ロマンスの神様 感謝しています
  Boy Meets Girl いつまでも ずっとこの気持ちを忘れたくない
  Fall In Love ロマンスの神様 どうもありがとう

 冒頭で期待していた友達の連れてくる男性グループとの合コンから、歌の終盤にはもうハネムーンに出かけるという、かなり強引な歌です。土曜日に遊園地にデートに出かけるという、まさに週休二日制導入以降のボーイ・ミーツ・ガールの在り方を描いています。
 この歌は、都会で働く女性への応援歌ではなく、ずばり結婚したいという、女の本音を全開にしています。

 毎日残業しながら男性と競争するような総合職を選ぶ女性とは違い、割り切ってアフターファイブを遊びに使う一般職OLを選ぶといった、不況期を元気に邁進するOL像といったところでしょうか。冒頭の「勇気と愛が世界を救う♪」なんていうハイテンションぶり、そして「神様」という言葉など、当時ちょっとブームになっていた新興宗教ののりを連想させるところでもあります。

 今の会社にすべてを投じるのではなく、お金より時間を選んだのが、『ロマンスの神様』に出てくるようなOLです。リクルートが1990年に創刊させた『ケイコとマナブ』は、習い事や資格スクールの情報を紹介する情報誌でした。いわゆる「自分磨き」というニーズを満たしたいOLがターゲットです。一方で、彼女たちは、今の仕事に満足していなくても、資格を身につけて転職した暁には、満足できる仕事をしたいという気持ちも持っていたのだと思います。

  いつも無理して笑顔つくるより
  誰かのこと想って泣ける方が好き
  かわいくいたい かわいくなりたい
  女なら誰でも愛されていたい
  『かわいくなりたい』古内東子(作詞:TOKO)


 古内東子も恋愛を題材にした歌をたくさんつくり、OL層に特に支持された歌手の一人です。『かわいくなりたい』は、96年に発表された彼女のシングル曲です。ここには、広瀬香美の恋愛しか見えないOLの実像をさらに超えた、すべてのリソースを「モテ」や「愛され」に投入するヒロインの心情が描かれています。

 作家の赤坂真理は『モテたい理由』の中で、かつて女子大生=お嬢様だった70年代後半に女子大生雑誌として創刊された『JJ』が、いまは「女子大生から若年事務職OLまでを統括した“あるメンタリティ”の雑誌」になったのだと指摘しています。

 その「あるメンタリティ」とは「女だてら」の出世などという困難な道を選ぶより、モテや愛されを追求し、経済力のある男性との結婚のほうが効率のいい成功であるという考え方のことです。つまり、それが「愛され」「モテ」を生み出したと彼女は言います。

「合理主義」は、バブル崩壊後の日本の企業社会全体が向かった道で会っただけではなくて、女性ファッション誌にまで行き渡った価値観です。

「愛され」「モテ」にの裏側には、OLの一般職から非正規雇用への転換があった。そんな社会になって気がついたのは、『ロマンスの神様』のOLたちのように、アフターファイブに全力投入するようなOL像とは、安定雇用の上に乗っかったものだったという事実でした。

  新しい服も伸ばしている髪も
   すべては大切なあの人のため
  きれいでいたい きれいになりたい
  女なら誰でも愛されていたい

 「あの人のため」といいながら、ここでの「きれいになりたい」、「愛されていたい」という競争における敵とは、つまり女性です。男性原理で動く会社での競争から降り、「モテ」や「愛され」に向かった女性たちも、また新たに「愛され」るための競争社会に飛び込んだに過ぎないのです。その辺の切実さは、実は広瀬香美のかなりぶっちゃけた歌でも覆い隠されていた真実と言えるでしょう。

ああ、でもどっちも名曲だなあ。

*このテキストは『別冊文藝春秋2013.3』に書いた『量産型ロマンスで抱きしめて!』で書いたものから一部抜粋したものです。オリジナル版には、ユーミンや今井美樹、宇多田ヒカルなどの話も書いています。

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2013年2 月 4日 (月)

1995年に見るJポップの転機 このエントリーをはてなブックマークに追加

AKB48勢とジャニーズ勢そして、ほんの少しだけEXILE。ほぼ彼らだけでトップ20を独占した2011年(2012年もそんなだったが)のシングルチャートから、震災が起きた年という世相を見出すことは難しい。

一方、阪神淡路大震災が起きた1995年はどうだったか。いまでは信じられないが、アイドルはチャートではまったく勝てなかった時代。この時代、アイドルでも演歌でもないものがJポップと呼ばれるようになっていた。自分で詩を書けば、それすなわちアーティストという時代でもある。具体的には、ドリカムとミスチルの全盛時代である(ここでは触れないけど両者は世相を歌詞にする名人だ)。

さて、この年、地下鉄サリン事件の直後に発売されたのが、H Jungle with tの『WOW WAR TONIGHT ~時には起こせよムーヴメント』だ。

http://youtu.be/NR4Vq3Sqv9Q


「温泉でも行こうなんて いつも話している 落ち着いたら仲間で行こうなんて♪」(作詞:小室哲哉)


神戸にはまだ仮設住宅で暮らす大勢の人々がいるにもかかわらず、温泉に行きたいとは、なんと不謹慎な歌詞か。なんて感じで、今であれば、発売延期にでもされてしまいそうな内容の歌詞だが当時のダウンタウン、小室哲哉のワーカホリックぶりには、不謹慎という批判を跳ね返すだけの説得力があった。

「でも 全然 暇にならずに時代が追いかけてくる♪」の歌詞の通り、小室哲哉、浜田雅功という、当時のJポップ、お笑いの両トップがコンビを組むという意味だけで生まれたこの歌は、年間総合2位を記録するWミリオンのヒットとなる。

■坂本龍一 VS 小室哲哉の1995年

クレイジーキャッツ、ドリフターズの時代、そして漫才ブームの折に誕生した、相方の集合体だった「うなづきトリオ」、『欽ちゃんのどこまでやるの!?』から生まれた「わらべ」、一連のとんねるずのヒット曲まで。テレビのバラエティから生まれるヒット曲は、ノベルティソング(または、コミックソング)と呼ばれる。「HEY!HEY!HEY!MUSIC CHAMP」の中での会話から生まれた『WOW WAR TONIGHT~』も、この系譜に含まれるものだが、これは、ノベルティソングとしては、やや特殊な存在である。ノベルティ特有の「目配せ」や「外し」、「なんちゃって感」というものが一切存在していないのだ。

ダウンタウンが同時期に活動を行っていたゲイシャ・ガールズは、松本浜田がKENとSHOという芸者に扮し、ラップする明確なノベルティソング(もしくは、はじめからそのパロディともいえる)だった。だが、売れたのは前者。ゲイシャガールズは、坂本龍一プロデュース、テイトウワ参加作品という豪華面子、話題性にかかわらず、チャート的にはたいした動きを見せなかった。

小室哲哉vs坂本龍一の対決は、ダウンタウンという存在を挟んだノベルティ対決として1995年に行われていたのだ。負けた坂本は、実はノベルティの人だ。彼の80年代の最大のヒットは『いけないルージュマジック』というノベルティソングだった。それが、ノーギミック、ノーギャグのH Jungleに完敗を喫したのだ。

■ノーギミックのノベルティーソングの時代

ノーギミックのノベルティソング。小室と浜田の2人による化学変化は、その後のJポップの世界を大きく変えてしまうことになる。
『ウッチャンナンチャンのウリナリ!!』の中で結成された「ポケットビスケッツ」は、バラエティ発のグループ(デビュー96年4月)であるにもかかわらず、曲調も歌詞も、ギミック無しの純然Jポップ。この路線は、歌手・アーティスト志向の強かった千秋の本気度からきたものだったのだろう。もちろん、それが許されたのは、先行したH Jungleの成功モデルが大きかったのだ。

ポケビの対抗グループであるブラックビスケッツも活躍し、両グループで10枚のシングルを発売し、内4枚がミリオンセラーとなった。もちろん、売り上げには楽曲の良さも関係していたが、それだけではない。グループの存続が、“○○できなかったら解散”といったような番組の企画上のゲーム的要素に左右されるなど、プロモーションの仕掛けが成功したのだ。

同じくバラエティ発のグループといえば、野猿がいる。ワイルド(つまり小汚い)な装いのおじさんを、R&Bの歌手としてデビューさせよう。そんな『とんねるずのみなさんのおかげでした』の番組内での思いつきから、裏方である番組スタッフが表舞台に立ってしまう。そんな経緯で結成された野猿は、1998年にデビューし、大ヒットグループとなった。やはり楽曲は、ノベルティらしさを削ぎ、本格的なR&B路線(Jポップにおける)だった。

ノーギミックのノベルティソングの登場は、実はその後のJポップの世界、つまり現在の市場の礎となった。『ASAYAN』が、「シャ乱Q女性ロックボーカリストオーディション」の落選組を束ね、デビュー曲を手売で5万枚売らないと即解散というプロモーションを行ってデビューしたモーニング娘。は、明らかにポケビの手法を踏襲したもの。そして、現在のAKB48を用意した。

また、野猿が解散した2001年、ちょうど彼らと入れ違いにデビューしたのが、EXILEだった。ワイルドなルックスでR&Bを歌う。しかも同じエイベックス。明らかに野猿という市場的な実験の成功の上にEXILEが乗っかったのである。

H Jungleが生み出したノーギミックのノベルティという路線は、その後のフォロワーを生み、さらにその遺伝子は現在のAKB48、EXILEという、現在のJポップ市場を寡占するグループたちへと受け継がれているのだ。

ジャニーズはというと、いまとなっては一身にノベルティソングを死守している最後の勢力なのかもしれない。

現在のヒットチャート、音楽シーンを用意したのは、90年代のバラエティ番組だった。悪く言えば、いまのJポップの閉塞性の元凶は、90年代のバラエティ番組が良くも悪くも持っていた内輪乗り、ワル乗りの要素を引きずっているからだろう。だが、CDの売れない今の音楽市場で、90年代のバラエティ番組的な“ゲーム性”が唯一のCDを売るために機能する手段であるのもまた事実。

Jポップは、世相を現さなくなったのではなく、いまだH Jungle~の手のひらにいるのだ。

 

*『コメ旬』Vol.3に掲載されたものに加筆したものです。

2012年10 月18日 (木)

「エマニエル夫人」は乗りもの映画である~もちろん二重の意味において【後編】 このエントリーをはてなブックマークに追加


■知られざるその後のエマニエル

さて、大ヒットした映画『エマニエル夫人』には多くの続編が作られている。シルビア・クリステルが主演を努めるシリーズとしては、翌年に公開された『続・エマニエル夫人』さらに『さようならエマニエル夫人』がある。前者は、舞台が香港になり音楽はフランシス・レイに、後者は舞台をセイシェル島に移し、音楽はセルジュ・ゲンズブールになる。だがまあ、それ以外に特に語るべきことはない。

以後、エマニエルは全身整形を行ったという無茶な設定の下、主役を別のポルノ女優に切り替えて作られたシリーズも作られた。モニーク・ガブリエルがエマニエルとなる『エマニエル ~ハーレムの熱い夜~』では、無意味に銃撃戦を繰り広げるなどの荒唐無稽なおもしろさはあるが、これらも特に語るべきことはない。


だが、その後に制作された『エマニュエル・ザ・ハード』のシリーズには触れておきたい。フランスで1991年から放送された『エマニュエル・ザ・ハード』は、なんとテレビシリーズとなったエマニエルである。テレビと言っても、「ザ・ハード」というだけあって、映画版よりちょっとだけエロ度は高いかもしれない。

その第1話は、冒頭、オリジナル『エマニエル夫人』を意識し、飛行機が滑走路から飛び立つシーンから始まる。飛行機とソフトフォーカスと、フランス語ボーカルの音楽がかぶされば、誰が撮ってもまあエマニエルになるのだ。

テレビ版のエマニュエルは、20年前に“愛”を知ったバンコクへと再び旅立つ。といっても、このエマニエルを演じるのは、シルビア・クリステルではなく、別の女優。あれから20年ということは、エマニエルは40才になっているはずだが、彼女の見た目はまだ若い。これは、のちに示されるのだが、実はエマニエルは永遠の命を手に入れていたのだ。

飛行機の中で、エマニエルはかつて性への導きを受けた(と言っても、アヘンを吸っただけだけど)マリオに出会う。彼女は自分があのときのエマニエルであることを伝えるが、彼はそれを信じようとしない。どうみても年齢があっていないからだ。エマニエルは、自分が今の若い姿を手に入れた経緯を、回想として話始める。

■『エマニュエル・ザ・ハード』と大乗仏教

エマニュエルは、バンコクでマリオに官能の世界に導かれ(何度も言うが、アヘンを吸っただけ)たのち、ファッション業界にすすみ、そこで成功を収めた。だが、そのファッション業界に疲れたエマニュエルは、チベットの山奥の寺院で修行に出かける。日本の疲れたOLの禅寺で精進料理を食べるオプション付きのパワースポット巡りツアーみたいなものである。

エマニュエルは、チベットの寺院に滞留中、そこの老僧によって永遠の命を与えられることになる。具体的には、胸に垂らすとどんな女性にでも変身できる「秘薬」が与えられたのである。この秘薬を使えば、エマニュエルは若いままの姿でいることができ、他の女性の魂に入り込むこともできる。ただし、この秘薬の効果は、彼女に与えられた「使命」に逆らう行為をすると切れてしまう。「使命」とは、「皆を幸福にする」というものだという。

秘薬によって若返ったエマニュエルは、やはり若返った老僧と対面座位によるセックスを行う。このシーンには、チベット展で見たような6本うでの仏像のカットが、セックスのシーンと交互にカットバックで使われる。これを他の宗教の神像でやったら、たぶんカンカンに抗議を受けるだろう。チベット仏教は寛大である。


そんなチベットでの体験を飛行機の中でマリオに話して聴かせるエマニエル。マリオはもちろん信じない。すると、エマニュエルはトイレで本当の自分の姿に変身してマリオの前に現れる。ここで登場するのは、滝川クリステルである。間違えたソフトフォーカスをたっぷりかけても、まったく誤魔化し切れていない40歳をひかえた本物のシルビア・クリステルである。

二人は20年の時を隔てた再開にシャンパンで乾杯し、再び彼女の昔語りが始まる。彼女が秘薬を得て、最初にセックスをした相手は、チベットのホテルの手違いから同部屋になってしまった青年・ファルコンである。彼はのちに、ロックバンドで成功。エマニエルは、彼のバンドのライブ会場を訪ね、10年ぶりの再会を果たす。

ロックのライブ後、控え室ではメンバーたちが「ファルコン、今夜のおまえは最高だったぜ」みたいな、漫画『NANA』でも言わないようなロックバンド然とした会話を交わしながら、楽屋でメンバー同士セックスをしまくっている。だが、ファルコンを片隅から眺めている女の子がいる。彼女は、バンドに付いている料理番である。あこがれのファルコンに近づくために料理をしているのだ。だが、ファルコンは彼女の料理に口を付けない。彼女は自分が好かれていないと思い込み、落ち込んでいる。

実はファルコンは、彼女のことがきらいなのではなく、アメリカのジャンクな食べ物が好きなだけだったのだ。それに気づいたエマニュエルは彼女の魂に入り込み、ジャンクフードを持ってファルコンの部屋へ行き、誘いをかける。

2人はばっちり仲直りをしてセックスをする。これで、エマニュエルは、人を幸せにするという「使命」を果たすのだ。ここから「真理と美と愛」を追求するエマニュエルの旅が始まる。以後、このシリーズは、香港、ギリシャ、カンヌ、アムステルダムと、エマニエルの性の諸国漫遊の旅として続いてゆく。

チベットでの高僧からもらった秘薬で、世界を奔放な性の楽園に変えていこうとするエマニュエルは、行く先々で、享楽の限りを尽くし、セックスによって人々を救っていく。これは、苦の中にあるすべての生き物たちを救いたいという精神を基にした大乗仏教の教えをベースに置いているのだ。

さらに「大乗」とは、偉大な乗り物を意味する。飛行機でのセックスしちゃうのも、まさに大乗ならではのことなのだと納得。なんか、罰当たりなことを書いているようだが、そういう話なのだから仕方がない。

■飛行機と通過儀礼

最後に、もう一度このシリーズの原作者(としてクレジットされる)であるエマニュエル・アルサンについて触れておきたい。

16歳の若さでフランス人と結婚し、タイを離れて人生を歩むことになった彼女の境遇からは、まだ性的な経験の皆無であった若い妻を自分の思いのままに染めていく男の身勝手な願望を読み解くことができてしまう。フィクションである『蝶々夫人』について論じられるような、西洋と東洋の間の不均衡な植民地主義的な権力関係もそこから読み取るのは容易である。だが一方で、そういった枠の中だけに彼女の人生を押し込めてしまうのもまた暴力である。あの時代にタイを飛び出し、西洋の教養を身につけ、彼女が本当にこの小説の著者であったかどうかは別として、『エマニエル夫人』を記す、もしくはそのモデルになった彼女の人生はとても興味深いものでもある。

旅行というのは、ヨーロッパの貴族の風習においては、子どもの内に多くの経験を摘むための修行であり、大人になるための通過儀礼であった。“旅の恥はかきすて”という慣用句にも現れているように、そこでの“性的”な儀礼もまた付きものである。

その意味で、エマニエルの原作小説が、飛行機の機内の描写から始まるというのはとても示唆的である。そしてまた、機内の場面において、彼女が夫以外の男と初めてのセックスを行なう儀式的なものであったことも重要だ。映画においては、途中、回想として差し込まれたあの飛行機でのラブシーンである。

16歳で結婚し、タイを出た彼女が最初に見たであろう、西欧文明に満たされた空間が飛行機の機内であった可能性は高い。エマニュエル・アルサンが結婚した1940年代は、長距離国際線がようやく確立し始めた時期だ。さらに、結婚から10年が経ち、小説『エマニエル夫人』が刊行された50年代末は、ボーイング707やDC-8といったジェット旅客機での飛行機旅行が普及し、飛行機での旅行が一般化した時期だ。こうした現代における国際間移動の手段であり、東洋と西洋の間を植民地主義の時代よりも遙かに早く移動可能にした飛行機は、エマニエルシリーズにおける、もっとも重要なアイテムである。

そして、もちろん彼女にとっての飛行機での旅行、また、そこにおいてのセックスは(実際にしたかどうかは別として)特別な通過儀礼であった。本稿で、飛行機のシーンととソフトフォーカスと、フランス語ボーカルの音楽さえあれば、エマニエルになるということを書いたが、まさにエマニエルシリーズにおいて、飛行機は彼女に次ぐ主役となっているのだ。

『エマニュエル・ザ・ハード』の冒頭にはシャルル・ド・ゴール国際空港のエスカレーターが登場する。この空港は、円形のターミナルやガラス張りのチューブ状エスカレーターが縦横無尽に走る世界一美しい空港である。シャルル・ド・ゴール国際空港の開港は、1974年3月のことで、『エマニエル夫人』がフランスで最初に公開された3ヵ月前のことだった。もう少し早ければ、映画でも使われていたかも知れない。

エマニエルのイメージが強いシルビア・クリステルのその後の女優としてのキャリアは、ぱっとしたものではなかった。『プライベート・レッスン』や『チャタレイ夫人の恋人』での役割は、エマニエルの焼き直しに等しいものに映る。

ただ、唯一目立った出演作である『エアポート'80』は、まさに飛行機、飛行場を舞台とした映画であった。この映画で彼女は、コンコルドのスチュワーデスを演じている。彼女たちが乗ったコンコルドは、戦闘機の追跡を受けながら、ニューヨークからパリの空港へ向かう。そして、目指したは、シャルル・ド・ゴール国際空港だった。

空港は映画の中での目的地でもあるのと同時に、女優としてのシルビア・クリステルの出発地でもあった。彼女にとっても、飛行機の中でのセックスシーンは、人生において大きな意味を持った通過儀礼だったことは間違いない。

 

 

この原稿は、2012年10月18日にシルビア・クリステルさんの死を知り、かつて『BOOTLEG VOL.02』に掲載されたものをブログにアップしました。ご冥福をお祈りいたします。

 

「エマニエル夫人」は乗りもの映画である~もちろん二重の意味において【前編】 このエントリーをはてなブックマークに追加

■安手のポルノ映画がどうしておしゃれ映画になったのか?

『エマニエル夫人』は、1974年に公開されたフランス映画だ。当時、流行していたハードコアポルノではなく、女性客が押し寄せたという(特に日本では)「おしゃれ」なソフトポルノ映画である。

 

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おしゃれ映画と目されているこの作品だが、実のところは金儲けが第一主義のケチケチしたプロデューサーが、手抜きで作ったものでしかなかったのだ。そのケチプロデューサーこと企画・製作のイヴ・ルッセ=ルアールは、元々広告畑のプロデューサーである。これは成功した男の常だが、彼は日頃からいつか自分の映画を作りたいと考えていた。そしてある日、知人からフランスの10年前のベストセラーポルノ小説『エマニエル』の映画化すれば儲かるというアイデアを吹き込まれたイヴは、それを読みもせずに映画化の契約を取り付けたのだ。

映画のために集めたスタッフは、すべてCMしか撮ったことのない連中だった。映画の経験者は、トリュフォーの映画で脚本を書いているジャン・ルイ・リシャールと、同じくトリュフォーの編集をつとめたクロディーヌ・ブーシェだけだった。監督に抜擢されたのは、ファッション写真家で、映画監督への野心を持っていたジュスト・ジャカン。イヴが彼を抜擢したのは、彼の名前がアメリカ人っぽかったからだという。アメリカ人監督を起用すれば、話題に事欠かないと思ったのだろう。第一候補だったアート系の写真家には、安っぽいポルノの監督なんてゴメンだと断られ、その次の選択肢としてジャカンに声を掛けたのだ。

■素人だらけの撮影クルー

女優選びにも苦戦した。無名監督が撮るポルノ映画の主演という話を、フランス中の女優や女優の卵が出演を断った。主演女優はオランダで見つかった。無名のシルビア・クリステルはフランス語はほとんど話せなかった。さらに母国以外での映画出演ははじめてだった。

さて、よろこんで監督の椅子に飛びついた写真家のジャカンは、映画のいろはもろくに知らないまま撮影隊とともにタイに飛び、タイでのロケを敢行する。だが、シルビアは長い台詞が話せないため、始めに準備したカメラワークや構図は、すべて台無しになった。といっても、そもそも映画をよく知らないジャカンは、元々必要なクローズアップのショットやつなぎの場面などを無視して撮影を行っていたのである。

それでも撮影は進んだが、バンコックではフィルムの現像ができず、ラッシュは見ることができなかった。撮影フィルムは、そのままパリに送られ、パリで編集のクロディーヌらが確認した。パリのスタッフたちは、あまりの映像の出来の悪さに頭を抱えた。俳優たちの演技はひどく、使えない遠景のショットばかりだったのだ。共同プロデューサーの一人は、ロケ隊をパリに呼び戻そうと考えた。だが、クロディーヌは、とりあえず編集でなんとかするからと説得し、現場のジャカンに「クローズアップをもっと撮るように」とだけ電報で伝えた。

そんなドタバタ続きの現場だったがアクシデントはさらに続く。寺院の近くの聖域でヌード撮影を行っているところを通報され、クルー全員が逮捕されたのだ。それでも、映画は多くの人々の思惑や予想を尻目に、完成へと近づいていった。  ただし、この映画のもっとも有名な飛行機でのラブシーンは、実は監督ジャカンが演出したものではない。編集のブーシェは、この重要なシーンの撮影にダメを出し、監督にのシーンの再撮影をリクエストした。だが、さんざんだめを出しをされ、自信を喪失していた監督はそれを拒否。ブーシェは仕方なく、脚本のジャン・ジャックを呼び出し、飛行機のセットを使って再撮影を行った。その際、彼女たちは、トリュフォーの『二十歳の恋』のシーンを参考にコンテを描き、完全なコピーとしてシーンを再撮影した。のちに、このシーンをほめられた監督のジャカンは、これが自分の演出ではないことを隠し、自分の手柄にした。

■映画は勘違いを生んで大ヒット

こんな具合で、終始うまくいかなかったこの作品も編集を終え、試写会の段階までこぎ着けた。誰もがこれが傑作になったとは思えないまま公開日を待つこととなった。だが、いざ映画が公開されてみると、映画は大ヒット。連日、映画館は行列ができ、おしゃれなソフトポルノ映画の話題で、パリの街は持ちきりとなったのだ。

単に素人臭いと思われた演出やカメラワークは、これまでの映画にはない小粋でファッショナブルな演出として受けとめられた。ろくに筋立てもないと批判されることが多い映画だが、シナリオにおける構造はうまくいっていた。

贅沢で堕落したフランスの有閑マダムたちの日常と、タイのエキゾチックな風景の対比は、この映画にある種の風情をもたらしている。また、現代的な飛行機の中のシーンと、小型のボートで行き来するバンコックの水上市場の光景は、まったく異なった文明の、「交通手段」「乗り物」の差として印象的な落差を生み出した。そして、ヒットの最大の貢献者は、長身で手足が長く、まだ少女っぽいあどけなさが残るシルビア・クリステルの魅力だった。また、ゲンズブールが降りたあとに音楽を担当したピエール・バシュレの音楽もマッチしていた。

これらの要素が相まって、素人の手によるでたらめな作品になる可能性も高かった『エマニエル夫人』は、下世話なポルノではなく、小粋でファッショナブルな映画になったのだ。

■タイ駐留夫人たちの退屈な日常と性

『エマニエル夫人』の映画の中身はこういうものである。フランスの外交官の若き妻エマニエル(20歳くらいの設定)は新婚。外交官で夫と半年間んは別々に生活をしていたが、夫の赴任先タイで一緒に暮らすことになった。  エマニエルの夫・ジャンは、彼女よりも10歳以上歳が上で、エマニエルにとっては最初の男である。

ジャンは、彼女の美しさを自分だけが独占するのは罪深いと考えていた。彼は、妻の魅力が自分以外の男性にも開かれるべきであり、妻が望むのであれば他の男と情事に耽ることをねたまない、いや、むしろ歓迎すると妻には教えていた。実際、夫のジャンは奔放な性道徳の持ち主で、自分は現地の妻や使用人ら、美しい女性とは片っ端から関係を持っていたのだ。  夫の言葉とは裏腹に、エマニエルは貞節を守り、独りパリで生活をしていた。だが、バンコクへ旅立つ飛行機の機内で、初めて夫以外の知らない男とのセックスを経験する。一人目は周囲が寝静まった客席で、二人目はトイレの個室の中で。この2つのセックスは、エマニエルのこれから始まる新しい生活を予言した、旅立ちの儀式だった。

バンコクに着いたエマニエルは、ジャンに案内されてバンコック観光に出る。なにか恵んでくれと車にたかる子どもたち、締めた鶏の血抜きをしている野蛮な市場。パリとは何もかもが正反対であるバンコックの粗暴な様子にエマニエルは、はやくも嫌気がさす。

さらに、彼女を待っていたのは退屈で退廃した大使館員の妻たちだ。彼女たちは、高級なクラブで日常を過ごしている。水泳、スカッシュ、テニス、ゴルフ、そして奔放なセックス。夫の仕事の付き添いとして、このなにもない退屈な東南アジアの赴任先での生活を謳歌している。そんな、有閑マダムたちのリーダーである、アリアンヌは、エマニエルに「ここでの唯一の敵は退屈よ」とアドバイスをする。

こうした退屈な生活の中で、うぶだったエマニエルは年端のいかない少女のマリー・アンヌと出会い、彼女から自慰行為が自然な行為であることを学ぶ。また、有閑マダムのアリアンヌからは、レズビアンのセックスを手ほどきされる。エマニエルは、夫のジャンとの新婚生活に満足を覚えているのだが、さらなる成長を自分に課していた。まだまだジャンに相応しい妻にはなりきれない。そう考えた彼女は、性の奥義に近づくために精進し、自分を高めようと努力していた。

あるとき、彼女はエマニエルは大使館の妻たちからはつまはじきにされている美人のビーの存在に気付く。彼女はアメリカ人で、考古学の研究のためにタイに来ている研究者である。彼女は退屈をもてあましているフランスのマダムたちとは違い、倦怠に包まれずに生きている。そんな彼女に興味を持ったエマニエルは、自ら彼女に近づき、夫に黙って二泊三日の彼女の研究旅行に付き合う。

彼女の研究旅行は、山奥に入っていくもので、二人は旅を通して性的な意味でも親しくなる。これはエマニュエルにとって、受動的にではなく、自ら切り開いた初めての恋でもあった。  エマニエルに、奔放な性生活をすすめていた夫のジャンだが、実際にエマニエルが自分以外の存在と夜を過ごすとなると、途端に態度が変わってしまった。妻の不貞に機嫌を損ねた彼は、場末のストリップバーに繰り出し、有閑マダムのリーダー格である女性と荒々しいセックスを行うのだ。ジャンは、自分のことをさておいて、妻には貞淑を求める身勝手な男でしかなかったのだ。

■性の深淵か、オヤジの説教か

一方、ビーに夢中になったエマニュエルだが、彼女はてひどく彼女に振られてしまう。彼女はエマニエルを愛しているわけではなかった。エマニエルと寝たのは、彼女を傷付けたくなかっただけだった。  傷つき夫の元に戻ったエマニエルに、夫のジャンは、妻をマリオに引き合わせる。マリオは初老のイタリア人で、一部の人間の間で尊敬されている人物である。一見、エマニエルを賛美するプレイボーイ風だが、実はホモセクシャルであるようだ。

そのマリオは、エマニエルをアヘン窟へと誘い、「愛は官能の探求」であるとエロチシズムの本質を説教する。そして、タイ人のジャンキーたちに彼女を襲わせたのである。さらに、賭博場に連れて行き、若い男たちにムエタイの試合をさせ、その商品として勝利者に彼女との肛門性行をさせた。こうした実地訓練のあと、マリオはエロチシズムとは何かという高説を、エマニエルにくどくどと語るのである。しっかり事を成した後に、風俗嬢に説教するオヤジのようである。とは言え、映画版ではマリオはエマニエルと交わってはいないので、事も成さずにではあるのだが。

■『エマニエル夫人』に見るオリエンタリズム

当初の脚本では、この説教シーンをもって映画が終わるはずだった。本当にこのまま映画が終わってしまったら、意味不明の映画になっただろう。だが、この陳腐なラストシーンを、編集のクロディーヌが作りかえた。クロディーヌは、マリオの退屈な演説ではなく、鏡と向き合うクリステルのシーンを最後に持ってきた。このシーンは、念入りに化粧するエマニエルが、変身した自分の姿を鏡に映すという内容である。新しいエマニエルとして生まれ変わったということを暗示させる、意味深なシーンである。このカットを挿入することにより、映画にはそれなりの深みと味わいが加味されたのだ。

彼女にこのラストのアイデアを提供したのは、セルジュ・ゲンズブールとジェーン・バーキンのカップルだった。当初、この映画の音楽を依頼されたゲンズブールは、映画の出来に不満があり、仕事を断っていた。だが、仲の良かったクロディーヌに、映画を良くするアドバイスをしたのだ。 『エマニエル夫人』とは、つまるところフランス人が東南アジアにやってきて、アヘンを吸って勝手に東洋の神秘を感じ、“旅の恥はかき捨て”の域を超えない冒険的なセックスにいそしむ話である。エマニエルが性の伝道師であるマリオの導きによって、性の神秘的な深みへと導かれていくといっても、つまるところドラッグを伴うセックスをする楽しみを知った程度の話でしかない。

この映画をひとことで表すなら「オリエンタリズム」ということになる。つまり、植民地主義的な都合のいい西洋からの東洋を蔑む視点の下で作られた映画なのである。その証拠にタイ人の男性は、対等なセックスの相手としては描かれない。アヘン中毒でありエマニエルを複数でレイプする相手であり、ムエタイの試合に勝利し、その商品としてエマニエルとのアナル・セックスを行う相手なのだ。つまりは、愛情の交歓相手ではなく、感情の伴わない野蛮人としてのセックスの相手である。

タイ人女性の描かれ方も大差はない。エマニエルの夫であるジャンは、使用人であるタイ人女性に手を付けているが、それは使用人と主人の関係であり、やはり愛情とは無縁なのだ。  このように『エマニエル夫人』とは、19世紀の植民地主義的な尊大さ、東洋と西洋の不平等な力関係が前提とされた物語である。だが、こういったいわゆるポスコロ、カルスタの常套句的な批判は、実はこの物語の原作者がタイ人であり、しかも女性であるという事実にぶち当たると、その論拠は、大きく揺らいでしまう。そう、この映画の元になった小説の著者は、タイ出身の生粋のアジア女性なのである。その話をする前に、タイと西洋の関わりの歴史について、少しだけおさらいをしておきたいと思う。

■シルク王ジム・トンプソンとエマニエルの人生

『エマニエル夫人』の舞台となったタイは、一度も欧州列強の植民地となったことのない東南アジア唯一の国である。ビルマがイギリスの、ラオス・カンボジアがフランスの植民化に置かれる中、その間に位置するタイは、ちょうど緩衝地帯の役割を果たし、欧州列強からの植民地化を免れることになったのだ。

第二次大戦においては、タイの国土も戦場になった。実はタイは、枢軸国側として日本と同盟を結び、イギリス及び連合軍相手に戦った。だが、日本の旗色が悪くなると、うまく敗戦国となることを回避し、連合国の一員に鞍替えする。この裏には、アメリカの戦略諜報局(OSS。CIAの前身)による活躍があった。タイ国内に潜入した諜報部員が、タイの抗日グループの組織化を手助けし、国を挙げて日本に敵対するよう工作を行ったのだ。

そのOSSの工作員であり、バンコク支局長として大戦の終結を終えたのがジム・トンプソンである。戦後、彼はアメリカに帰ることを拒み、現地でビジネスを始めた。トンプソンは、当初欧州からの観光客向けのオリエンタル・ホテルなどの事業を手がけるが、のちにタイの伝統産業であったシルクの生産に目を付ける。彼が近代化させたタイシルク産業は、西洋で注目を浴び、彼はシルク王として巨大な富を得る。

シルク王ジム・トンプソンの逸話は、直接『エマニエル夫人』とは関係がないが、時代背景やタイにおける西洋人の生活を知るには、いい比較対象である。  元々、入隊以前は建築家であったトンプソンは、タイに自ら設計した邸宅を作った。写真で見る限り、『エマニエル夫人』に登場するジャンとエマニエルの住む家の雰囲気によく似ている。西洋風の作りではなく、タイの伝統建築を装った建物だ。外のテラスと屋内が敷居で仕切られていない、オープンな作りである。トンプソンは、ここに、西欧人のゲストを招いてパーティ三昧の日々を送ったという。

 『エマニエル夫人』の原作は、1959年に刊行されたエマニュエル・アルサンという作家の手によるポルノ小説『エマニエル』である。当初は匿名で刊行されたこの小説は、哲学的な内容が絶賛され、大ベストセラーになった。 この小説は、映画同様、フランス人の娘が18歳で外交官と結婚し、バンコックへ行くというものである。だが、著者名のエマニュエル・アルサンはペンネームであり、その正体は驚くことに、タイで生まれ育った女性であった。しかも、16歳でフランスから来た外交官と結婚し、のちにフランスに渡ることになるのだ。

彼女がフランス人外交官と結婚したのは、1948年のこと。その10年後に、彼女の人生に起こったことの一部を反映したものとして、小説が刊行されている。小説のヒット時や映画公開時には、主人公が複数男性レイプされ、賭けの商品となるという内容が問題とされ、批判の声も巻き上がったという。だが、それに対し、女性作者が書いたものであり、男性優位の視点から書かれたわけではないという反論がなされた。  だが、本当にエマニュエル・アルサンこと、マラヤット・アンドリアンヌがこの小説の本当の作者ではないという説もある。外交官である夫が書き、それを妻名義で刊行したというのだ。ホッブスやニーチェ、ギリシャ神話や旧約聖書といった、西洋の思想史の引用で綴られるこの哲学的な本が、10代半ばまでを東南アジアで過ごした20代半ばの者に書けるかというと、それは難しいのではないだろうか。妻が名義を貸した説にも、一定の信憑性はある。この話題は一旦締める。

さて、ジム・トンプソンのタイシルクが成功したのは、ハリウッド映画『王様と私』(1956年)の衣装に採用されたことがきっかけだった。この映画は、19世紀のタイを舞台に、タイ王族の家庭教師としてやってくるイギリス人女性の物語である。タイを舞台にしたポルノ小説『エマニエル夫人』が1959年であるから、この当時は、エキゾチックなタイが、西欧においてちょっとしたブームになっていたことがわかる。タイはインドネシアのバリ島に次ぐ、東南アジアでナンバー2の観光地である。欧米の映画や小説の題材になることも多い。ベトナム戦争では、米軍も駐留するなど、西洋との接点も少なくない。

そして、そのタイでもっとも成功した西洋人であるトンプソンの謎の失踪が、世界的にミステリーとして騒がれたのは、1967年のこと。『エマニエル夫人』映画化され、世界的にヒットする7年前のことだ。

トンプソンの失踪は、別荘の持ち主である友人の夫婦と、トンプソンと同行していた知人の夫人が昼寝をしている間に、消えてしまったという奇怪な事件であり、身代金目当ての誘拐だとも、かつて彼が所属した諜報機関に関わる政治絡みの犯罪だとも言われているが、真相は定かでない。

〈このテーマ後編に続く〉

このテキストの初出は『BOOTLEG VOL.02』に掲載されたものです。

 

2012年8 月10日 (金)

『都市と消費とディズニーの夢 ショッピングモーライゼーションの時代』発売 このエントリーをはてなブックマークに追加

Mollshoei

 

都市と消費とディズニーの夢  ショッピングモーライゼーションの時代 (oneテーマ21)
速水 健朗
角川書店(角川グループパブリッシング)
売り上げランキング: 2757

 

 

ここ数年来の僕の最大のテーマだったショッピングモールの研究をまとめた新刊が本日、8月10日より書店に並びます。『思想地図β VOL.1』に載ったものを基本としながら、大幅に加筆修正したものです。個人的には、『ショッピングモール化する世界』か『ショッピングモーライゼーション』がよかったのですが、営業的、その他の理由によりいまの題名になっています。

思想地図の論文にはなかった、部分として、ウォルト・ディズニーの生涯における“お引っ越し”の過程を大幅に加え、また、ショッピングモールの歴史のパートに、『シザーハンズ』『ゾンビ』といった映画との関わりを大幅に加えました。 基本的には、ショッピングモールが生まれた背景、その思想、歴史などを遡りながら、関連する「都市計画」「テーマパーク化」「郊外化」「公共性」「カルチャー」などについて考察するものです。 ただし、ショッピングモール=郊外という連想からは、かなり逸れています。主に都市論、観光論です。

これから、池袋リブロ本店でのブックフェアや、8月31日の古市憲寿氏とのショッピングモールに関連したトークイベント(阿佐ヶ谷LoftA)を行います。その他、プロモーションに関連したイベント、取材依頼などありましたらご依頼お待ちしております(メールは hayamiz_k @ yahoo.co.jp まで)。

「ショッピングモール化する社会と世界」
【場所】阿佐ヶ谷LoftA(東京都杉並区阿佐谷南1-36-16ーB1)
【出演】速水健朗、古市憲寿(社会学者/『絶望の国の幸福な若者たち』等)
OPEN 18:30/START 19:30
前売¥1,500 / 当日¥1,800(共に飲食代別)
*前売券はローソンチケットにて発売中【Lコード:37607】

以下、目次です

第一章 競争原理と都市
コインパーキングによって変わった街の風景

都市のすき間を埋めるビジネス
公共施設にスターバックスができる理由
病院にカフェが増えるメリットとは
サービスエリアの民営化による変化
競争原理のもうひとつの側面
東京駅、羽田国際ターミナル、東京スカイツリー
ステーションシティ化とは何か?
空港民営化時代の競争戦略とテーマパーク化
東京スカイツリーとショッピングモール
グラウンドゼロの教訓と都市の創造者
最適化する都市=ショッピングモーライゼーション
六本木ヒルズはショッピングモールか?
商店街の衰退について回るウソについて
社会学から見たショッピングモール批判
まちづくりとコミュニティデザインブームへの違和感

第二章 ショッピングモールの思想
ディズニーの最後の夢とショッピングモール
ウォルトの最初の“夢の王国”
都市の夢と二〇世紀初頭の偉人たち
鉄道マニアの果てに
東西冷戦とノスタルジー
保守主義者・愛国主義者のウォルト
“夢の王国”の誕生
テーマパークとは何か?
テーマパークと物語の導入
アメリカにとっての建国物語である西部開拓史
「トイ・ストーリー」に示された二つのフロンティア
ディズニーランドの視覚効果
ディズニーランドの次の夢
ウォルトの死によって完成しなかった都市
犯罪ゼロの理想的都市EPCOT
一九五〇年代の大都市の荒廃
ショッピングモールの父、ビクター・グルーエン
ショッピングモールと田園都市

第三章 ショッピングモールの歴史
街と消費のかかわり、パサージュから百貨店へ
スーパーマーケットの登場
黎明期のショッピングモール
現代のショッピングモールの原形の登場
モータリゼーションからスーパーハイウェイへ
ルート66の廃線とアメリカ人のノスタルジー
「カーズ」で描かれるアメリカ道路行政の転換点
アメリカ的生活のショッピングモール
「シザーハンズ」とニュータウンの共同性
「シザーハンズ」と郊外生活者のディストピア
公共性を帯びていく六〇年代のモール
モールに対する反発と批判の一九六〇年代
映画「ゾンビ」のショッピングモールの様式
人はゾンビになっても消費から逃れられない
ゲイテッドスペースとしてのモール
モールの手法を用いた都心の再開発が始まった一九七〇年代
観光地と結びつくモール
複合プロジェクト型再開発時代の始まり
映画「ターミネーター2」とダウンタウンモール
サンディエゴの都心再開発とジャーディ
アメリカダウンタウンのモーライゼ―ション
ボードリヤールのモールへの予言

第四章 都心・観光・ショッピングモーライゼーション
【高級ニュータウンと玉川髙島屋SCの誕生】
東京近郊高級住宅街の現在
緑と明るい空間に太陽光が指すモール
戦後のニュータウンと戦前の郊外住宅
日本最初のショッピングモール
鉄道会社主体の都市計画
多摩田園都市というニュータウンの誕生
中流階級台頭とモールの普及
モールとデパートの違い
【自動車時代のショッピングモール】
日本版本格郊外型ショッピングモールの登場
船橋ヘルスセンターと東京ディズニーランドの共通点
モール=ハードウェア、テナント=コンテンツ
ショッピングモールにとっての優良コンテンツ
【観光地とショッピングモール】
アミューズメントパークとモール
ラスベガスのショッピングモーライゼーション
ジャーディとラスベガス
モール、テーマパーク“シティ”への環境変化
【一九九〇年代の日本のショッピングモール状況】
一九九〇年代以降の日本のモール急増
日本版ダウンタウンモール
代官山モーライゼーション
都市とコンテンツ、モール化するテレビ局
【グローバル化とモールの関係】
訪日観光客で変わる街
観光客はショッピングモールを目指す
世界のモール化する観光地
クアラルンプールのショッピングモール
観光都市という視点
ショッピングモーライゼーションがもたらすもの

あとがき

2012年4 月27日 (金)

ドリカムと自動車普及の関係 このエントリーをはてなブックマークに追加

自動車が売れない時代と言われて久しい。新車販売台数のピークがバブル崩壊の1991年。以降、基本的には右肩下がりを続けている。だが、別の指標を見てると、また違った面が見えてくる。

Cargraph
(国土交通省調べ 出所:(社)日本自動車工業会)

 上の図は、自動車の保有台数の推移のグラフ。新車販売台数のピークは`91年だが、保有数は`00年代初頭まで伸び続けている。その後、横ばいで`08年以降、転落に転じる。そして、明確なのは、保有台数が急速に延びているのが、1989年~97年頃の時代であるということ。その前後は、むしろ横ばい。つまり、90年代を通してクルマはそこそこ売れ続け、00年代になって鈍化したということがわかる。ここからわかるのは、自動車の魅力が低下したということではなく、単に国民全体に普及しきった、飽和状態にあるということ。

その急速に自動車の普及率が増した`88~`97年ごろとは、ほぼDream Come True(ドリカム)の活躍時期と重なっている。これはおもしろい一致である。

この時期、クルマでドリカムを聴きながらデートをしていたという記憶を有する人たちは少なくないと思う。FM東京は、そんな層を狙ってか、日曜日の午後3時に、「中村正人のサンデーネットワーク」というラジオ番組を流していた。この番組を聴きながらドライブデートにいそしんだ15~25年前の若者たちは今、35~45歳くらいか。

ドリカムソングのデート場面にも、ドライブの場面が登場するものがある。

『太陽が見てる』/ Dreams Come True
あの岬よりも遠くへ
3度目のデートはドライヴ
話しかけても 風が邪魔して
届かない声 もどかしい距離
作詞:吉田美和

1992年の歌。ふたりの関係はまだぎこちない。後の歌詞には、一緒に撮った写真もないということが示される。女の子はカメラをバッグにしまったままで、取り出す機会がまだないのだ。なぜなら、彼は運転に夢中だから。会話も続かないし、クルマから降りようともしない。

この歌は、ある場所で急に場面展開を見せる。

何も言わずにあなたが指さす空は
雲間に延びる 光線の束
車止めて連れ出してくれたの 初めてね
私が変わる あなたも変わってく
膨らんでゆく スペクトルの中
何も言わず 抱きしめてくれたら
うれしいのに もっとうれしいのに

ドライブの最中、景色が急転。ふてくされているのか、それに気付かない彼女に彼はそれを伝えてクルマを停める。2人はその景色を眺めるが、やがて彼女は思い出し、「少し待ってて カバン取ってくる」と車に戻る。カバンの中のカメラを取りに戻ったのだ。やっとツーショットの写真を撮るタイミングが訪れたのだ。ふたりの距離が近づいた瞬間である。

この歌の歌詞がとても吉田美和らしいなと思うのは、クルマの形状やブランド、ドライブのシチュエーションの描写には興味がなく、彼と自分との距離感だけを描き続ける点である。

これがユーミンなら、ベレットなのかセリカなのかという車種、もしくは、コンバーチブルなのかクーペなのかというクルマのタイプを描く。背景も、夜のハイウェイをミルキーウェイのようと描写する。ユーミン以外であっても、80年代の歌なら、海岸道路であったり江ノ島が見えたりしがちだ。吉田美和は、そういった描写に、一切の興味を見出さないのだ。

この歌が切り取るのは、彼と彼女の特別な瞬間であって、クルマやドライブはありきたりな背景に過ぎない。クルマへの憧れがすでに消え失せた世界の歌だ。ユーミンと違って、ドリカムはありふれた日常としてクルマを切って取る。自動車が本格的に普及し、大衆化、日常化、コモデティ化しきっていく様がドリカムの歌から見て取ることができる。

ちなみにこの曲、クルマでなく富士フイルムのCMソングである。80年代には、恋人たちをツナグコミュニケーションツールとしてクルマは機能したが、自動車がコモディティ化しつつあった90年代前半は、その主役がカメラ、特に女の子が持つカメラに移行した時期だったのかもしれない。この頃は、コンパクトカメラのブーム期だったはず。ズーム機能付きの安いコンパクトカメラが登場し、ヒットしていた。「写るんです」の普及もこの頃のこと。これらは、男の子の道具としてのカメラではなく、デートのときに持っていくコミュニケーションツールとしてのカメラだ。

ドリカムの活躍時を、1988~1997年としたが、補足を入れると、売れ行きががくっと落ちるのが90年代末の頃。シングルの売れ行きで言えば、1999年の『朝がまた来る』が50万枚のヒットを記録しているが、これ以降、50万枚を超えるシングルはない。

ドリカムの活躍時と、自動車の普及期が重なっているとして、そのあとの時代を象徴するのが、ゆずだろう。ドリカムが低迷を始めていた1998年に登場したゆずのデビューシングル『夏色』は、彼女と2人で花火を観に行く歌だが、この二人が乗るのはなんと自転車である。

ゆず以降、ヒット曲に描かれる日常のなかからクルマは退場していく。クルマへの憧れどころか、それクルマそのものが歌の中から消え失せる時代になっていくのだ。

2012年3 月12日 (月)

戦争映画として見る『戦火の馬』感想 このエントリーをはてなブックマークに追加

人間と馬のドラマという目線では、あまりよくできた話とは思えなかったので、あくまで戦争と馬という視点から映画の感想を。

第一次世界大戦は、馬が前線に担ぎ出された最後の戦争なのかもしれない。舞台を第一次世界大戦に設定したことが、 この映画の重要なポイント。こうした目線で戦争映画としてみれば、とても見所の多い映画かと。

見所という意味では、映画の最初の30分は寝てても問題ない。馬が来て少年が育てて戦争にとられていく。頭の固い父親が、意地悪な地主に意地を張って高い馬を買ってきて、金がなくなり売り払うだけの話。少年と馬が引き離されるのは戦争のせいではないのだ。なので少年にはほとんど感情移入できない。

やっと本編が始まったなというのは、最初の戦闘シーン。つまり英軍の騎兵隊とドイツ軍が接触する場面。サーベルを持った英国の騎兵隊が、ドイツ軍の宿営地を奇襲する。だが、このデビュー戦はあっという間に決着が付く。ドイツ軍の機関銃によって騎兵隊は壊滅的な被害を受ける。敗れた英国の将校に、ドイツ兵が嫌みをいう「俺たちが何の防備もなく野営していたと思ったのか?」と。まったくだ。

機関銃の社会史 (平凡社ライブラリー)』という本を読むと、この場面の背景が理解できる。イギリスは第一次大戦でドイツの機関銃の前に、多大な死者を出す。イギリス軍も機関銃は持っていた。だが、それが有効に利用されることはなかった。なぜなら、イギリスは、戦争において勝敗を決するのは、騎兵たちの勇敢さ、突撃精神だという考えを、多くの死者を出しても捨てなかったから。

当時のイギリスの将校たちは、みな貴族の出身だった。彼らは誇り高き戦争のプロだが、新しい戦争の時代になっていることに気付かなかった。さらに、工業化時代を担う新しい階級のことなど見下している人々でもあった。つまり、新しい技術が戦局を変える、技術で勝敗が決まるなんてことは、信じられなかったのだ。

そんな具合に第一次世界大戦の史実が忠実な感じで再現されるこの作品、とはいえ最初の戦いで主人公の馬に乗った英国軍人(少年に馬を返す約束をしたのに)はあっさり死ぬ。もちろん、主人公の馬は生き残るが、ドイツ軍で大砲を引っ張る労役に使われる。工業化時代の近代化した戦争を戦うドイツ軍は、馬を前線での突撃用には使わないというわけだ。

ところで、この映画で一番泣けるのは馬同士の交流のシーンである。軍隊でずっと一緒だった親友の黒い馬が、ここの労役で弱っていく。仕事を肩代わりする主人公の馬の優しさに心を揺さぶられる。だが結局、黒い馬は死ぬ。彼ら2頭の面倒を見る馬好きのドイツ兵は、上官の命令を無視してこっそりと隊列を離れ、2頭に別れの時を与える。馬と馬の交流、人と馬との交流が描かれる唯一の場面だ。正直泣ける。この映画の登場人物のなかで、馬を本気で愛しているのは、このドイツ人だけではないかだろうか。

映画としての見所はこの直後からのシーンだ。ドイツ軍から逃げ出した馬が前線を駆け回る。これまでは、優秀だが恐がりで柵などを跳び越えることのできなかったやさしい性格に描かれてきた馬が、ドイツの戦車と遭遇して覚醒するのだ。馬と戦車が一対一で向き合う場面が、本作の一番のシーンである。 鉄の塊を見て脅えた馬は、逃げようとするが周囲は障害物で囲まれている。勇気を振り絞った馬は、これに飛び乗る。前近代の兵器である馬が最後の抗いとして戦車に対抗するのだ。

工業化された戦争の主役である戦車と、前近代戦争の象徴である馬をワンカットに納め、対峙させる。このシーンにこの映画の全体的な構図が濃縮されて描き出されている。

覚醒した馬は、 前線を駆け回る。しかし、鉄条網が体中に巻き付いてしまい、弱って倒れ込む。ここで英国軍とドイツ軍の兵隊同士が馬を助けるために、一時協力するという映画のアクセントになる場面がある。

さて、馬が駆け巡る場所がだだっぴろい戦場ではなく、狭い塹壕のなかであるというのも、ミリオタであるスピルバーグらしい場面作りである。機関銃が用いられた第一次世界大戦は、塹壕での撃ち合いが戦闘の中心となる。馬は、この塹壕戦ではまったくの役立たずである。そこを馬が走りまわるというわけだ。騎兵が馬上で使い安いように短くなったカービン銃の時代から、塹壕に飛び込んで乱射できる短機関銃、そしてアサルトライフルへと、歩兵の銃の役割も変化していく。

最後に、馬と冒頭の主人公が前線で出会ったり、戦争が終わって一緒に故郷に帰ったりという場面は、あまり記憶に残っていないので、どうということはなかった気がする。 逆に、スピルバーグがこの作品で幾度となく描くメッセージとは、馬が戦争の役に立たなくなったという戦争の技術の変遷である。本作は、工業化した戦争を時代遅れの兵器である馬の目線で描いた作品のように思える。

これは少年に感情移入できなかった僕のうがった見方なのだが、あの馬の愛情を持ったドイツ兵のところに馬が帰るのが最もハッピーなエンディングだったと思う。

 

2012年3 月 6日 (火)

就活とせつなさとぼくらが髪を切る理由 このエントリーをはてなブックマークに追加

歌の登場人物が髪を切る理由。まあ、失恋がもっとも多いだろう。当然。それ以外にある?

バンバンの『いちご白書をもう一度』は、学生運動上がりの彼氏が、就職を決めて髪を切る話としてよく知られている。

僕は無精ヒゲと髪をのばして
学生集会へも時々 出かけた
就職が決まって髪を切ってきた時
もう若くないさと 君に言い訳したね
(作詞:荒井由実)

当時、学生運動の時代はすでに終わっており、逆にしらけムードが漂っていたであろう1975年のヒット曲。とはいえ、この髪を切った彼の場合は、ちゃんと就職できたのだから幸運だった。`60年代までは80パーセント近くあった大卒就職率も、低成長の70年代に入って落ち始め、70パーセント代前半に落ち込んでいた。当時は当時で就職難と言われていたのだ。そりゃあ髪くらい喜んで切るというものだ。

さて、その20年後。槇原敬之の『Love Letter』という歌は「遠くの街」へと旅立つ、片思いの相手に手紙を書く歌だ。

線路沿いのフェンスに 夕焼けが止まってる
就職の二文字だけで 君が大人になってく(中略)

ホームに見送りに来た
友だちに混ざって きっと僕のことは見えない
(歌詞:槇原敬之)

この彼女(えーと彼か?)も、就職が決まったのだ。そして、都会の街に出て行く。彼が無事就活に成功し、職に就けたのはとても運がよかった。この1996年は、就職氷河期の最中。大卒就職率は、約65パーセントで“いちご白書”の彼の時よりもさらに悪いのだ。

この彼が「遠くの街」に出ていったのは、地元に就職がなく、都会にいかざるをえなかったということかもしれない。90年代は、日本の地方は急速に経済が落ち込み始めた時期。地方の就職状況も、もちろん悪かった。

就職も決まって 遊んでばっかりいらんないね
大人の常識や知恵 身につけるのもいい(中略)

変わりゆくのが 人の
こころの常だと言いますが
ねえダーリン you soul
やさしく輝きつづけるわ
(歌詞:Utada Hikaru)

これもまた就職と恋愛が出てくる宇多田ヒカルの「stay gold」。このカップル、別れるわけではないが、フラグは立ちまくっているともいえる。近いうちに別れそうだ。

この歌は2008年。当時の就職率はどうだったっけか?

実感はなかったとはいえ、2002年から2007年まで続いた好景気は、いざなぎ景気を超える長期にわたる長い好況期として「いざなみ景気」と命名された。まったく定着していないようだが。2005年頃にはプチバブルの声も聞こえていた。一般人の株式投資ブームもあった。

この景気、企業には届いていた。2006、07年度は、就職は超売り手市場と呼ばれていた。この好況は、リーマンショックなどによって崩れ、その波は2008年以降の就職市場にダメージを与えることになる。とはいえ、大卒就職率の数字的なピークは、この「stay gold」が発売された2008年。79.9パーセント。

大学進学率に違いがあるとはいえ、この超売り手市場だった就職市場の数字は、「いちご白書~」の1975年に比べてしまうと、それを下回っているのだ。

 

人は、誰しも大人になり、大概は就職をする。そして、それを見守る恋人は、地元に残されたり、淋しく見守るだけだったりする。現実にもそうだが、就職は恋人との別れの季節でもある。そんな切ない物語は、10年、20年、30年とずーっと変わらずに続いてきたのである。

変わったのは、就職した彼らが受け取る生涯賃金だ。

団塊世代のサラリーマン、つまり『いちご白書をもう一度』の髪を切った彼の世代がもらう平均生涯賃金は、約2億7000万円と言われている。だが、槇原敬之の歌で「遠くの街」で就職した彼の世代はそんなにはもらえない。

約15年前に就職した彼は、いまでは30代後半に差し掛かった。35才のサラリーマンの年収は、ここ10年で、200万年円も低下した。生涯賃金は約3割減少する計算だという説がある。それにならうと約1億9000万円か。

宇多田ヒカルの歌に出てくる、20代半ばの人たちの生涯賃金はどうなるかな。

気が滅入る話だが、今の就活中の学生さんたちは、震災の影響もあり、さらに厳しいのだろう。がんばってほしい。襟足伸びすぎているやつは切れよ。

 

イニシエーション・ラブ (文春文庫)
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2012年1 月13日 (金)

日本の縮図としてみる箱根駅伝(のCM) このエントリーをはてなブックマークに追加

ほんと、皆好きだよね箱根駅伝。僕も実はここ数年欠かさず見るようになっている。箱根駅伝は、この国の新年のイベントで最も重要なもののひとつだ。

K-1にJリーグ、そしてプロ野球と相撲まで、長い歴史を持つさまざまなスポーツ中継の視聴率がふるわず、地上波の枠からずり落ちていく中で、圧倒的な強さを持って箱根駅伝は放送される。2日の往路で27.9%、3日の復路が28.5%。これは正月三箇日の全テレビ番組でトップの数字。

有名でもない大学生が箱根までの道を走るだけのレースになぜ? と思うが箱根駅伝は、日本社会の構造そのものだ。厳然と残る企業や官庁、公務員の学閥。また、一流大学の牙城に二流大、新興勢力が切り込もうとする図も、現実の企業社会の光景でもある(で、無力感に苛まれたり)。体育会系出身者たちが学生時代の先輩後輩を巡って仕事を取ってくることで成り立つ営業。箱根の山を競うレースに、日本の企業社会の縮図が編み込まれている。そうした日本社会の文脈が刻み込まれているイベントなので、ある程度それを共有する階層にしか楽しめないだろう。海外には輸出不可能なハイコンテクストコンテンツだ。

パチンコやケータイゲームのスポンサーしか入らない格闘技の中継なんかと違って、箱根駅伝のスポンサーは超豪華だ。ある程度、高い階層の視聴者層を見込めるので、引く手あまただろう。駅伝が日本の企業社会の縮図なら、箱根駅伝のCMは日本経済の縮図である。

メインスポンサーはサッポロビール。あと、トヨタやホンダといった自動車メーカーが続くが、中でも圧倒的に目につくのがマンションデベロッパー各社のCMである。三菱地所レジデンス、三井不動産レジデンス、野村不動産、明和地所、ゴールドクレスト、大和ハウス……etc。

個々のCMに目を配ると、最もわかりやすくゴージャス感を売りにしているのが、野村不動産のプラウドのCMだ。

Proud

ロケ地はマリーアントワネットやナポレオンも使用した「フォンテーヌブロー宮殿」。世界遺産だそうだ。BGMは、ガーシュインの『Someone To Watch Over Me』を平原綾香がスキャットで歌う。このご時世に、これだけ贅沢を尽くす趣旨のCMが作られるのはむしろ爽快だ。

一方、外観のゴージャスではなく、生活のぜいたくさをアピールするのが三菱地所である。CMソングは、竹内まりやのヒット曲『家に帰ろう(マイ・スイート・ホーム)』。

Mitubisi

恋するには遅すぎると 言われる私でも 遠いあの日に 迷い込みたい気分になるのよ♪



CMはこちら→ http://www.mecsumai.com/cm

このCM及びCMソングからは、彼らが商品を売りたいと考えているターゲット層が見えてくる。この歌の主人公は、すでに恋する年齢を超えているのだという。つまり既婚者。子育ても一段落し、生活が落ち着いた主婦を題材にした歌だ。ちなみにこの曲は、20年前のヒット曲だ。これを作った当時の竹内まりやは30代半ば。

『家に帰ろう』と歌うこの歌の主人公家族が住む“家”は、多分、一軒家なのだろう。子どもができて郊外の広めの家に引っ越したのだ。もちろん、35年ローンで購入したのである。

あれから20年。竹内まりやも今年で57才である。

さて、30代半ばだった歌の主人公の主婦も、同じくもう60才に近づいている。ローンも繰り上げ返済でそろそろ返し終えている頃だろう。子どももとっくに独り立ちしている。そろそろ老後の暮らしをどうするかに思いを巡らす年代だ。老後の生活は、都心のマンション暮らしが便利かな、なんて。

そんな人々が、どれだけいるのかはわからないが、このCMが狙うターゲット層は、そんな人々だろう。そこを見据えて、いまこの歌をCMソングに採用したのだろう。

実際うちの親なんかは、このCMのターゲットでもおかしくない状況を迎えているし、それを消費してもおかしくない社会階層といっていい。

正月のCMからそんなことが突きつけられた。この国の金融資産の約8割を、50代以上が保有しているのだから仕方ない。箱根を必死の形相で駆けていく若者たちと、高齢者をターゲットにしたゴージャスなマンションのCM群。この国の縮図がまさに箱根駅伝には詰め込まれているのだ。



2011年12 月15日 (木)

「ラーメンと愛国」絶賛発売中(書評、メディア露出など) このエントリーをはてなブックマークに追加

 

ラーメンと愛国 (講談社現代新書)
速水 健朗
講談社
売り上げランキング: 594

 

 

 

10月18日に発売された、『ラーメンと愛国』ですが、毎日新聞、朝日新聞、日本経済新聞などの書評欄に取り上げられております。主要3紙の書評、新書にもかかわらず、というのは、快挙かと思います(自画自賛)。

おかげさまで、2011年12月14日現在、4刷り計19100部となっています。

これ以外にも、週刊朝日(中森明夫さん)、日経MJ、週刊ダイヤモンド、東京スポーツ、日刊ゲンダイ(直木賞作家中島京子さん)、ダ・ヴィンチほかに書評が掲載され、さらに著者インタビューが、週刊文春(2011年12月1日号?)に掲載されました。ありがとうございました。

 

今後もメディア露出が続きます。大きいところでは、関西地方ほか朝日放送系列の深夜番組『ビーバップハイヒール』(2011年12月22日)でラーメン特集(がっつりラーメンと愛国の文脈で)、あと、マガジンハウスの『クロワッサン』『TARZAN』に著者インタビューが載ります。

ここでは、主要三紙の書評、及びその他ウェブ媒体のレビュー(の一部)をリンクと共に取り上げます。

 

主要三紙書評

確かに謎だったのだ。なぜ最近のラーメン屋店主は、藍染めのTシャツや作務衣(さむえ)を着てタオルを頭に巻くのか。なぜ相田みつを系の人生訓やら「ラーメンポエム」を壁に張り出すのか。
こうした疑問にピンと来た方は手に取るべし。巻措(お)くあたわざる知的興奮で満腹になることうけあいである。

朝日新聞2011年11月27日朝刊読書欄「なぜ作務衣を着るのか」斉藤環(精神科医)

と、このように本書はさまざまな思考を誘発・喚起してくれる。今後、食の文化研究(カルチュラル・スタディーズ)が進むことを期待したい。有名な「マクドナルド化」の議論にしても、テリヤキバーガーなどを例に引きながら、グローバル化とローカル化の相克を指摘する研究もある。中華料理であったはずのラーメンが、なぜ「和(ナショナリズム)」と節合されたのか。その問いは、日本の戦後社会、とりわけ平成とは何かを問い直す作業へと繋(つな)がるであろう。
日本経済新聞朝刊2011年12月4日付「ラーメンと愛国 速水健朗著 戦後社会を問い直す食の研究」社会学者 難波功士

 

高タンパク・高カロリーをうたう最近のラーメンと、自然食などを大切にするスローフード運動に「ご当地色」という類似点を見つけたかと思えば、石原慎太郎都知事が常々、反中国的な発言を繰り返しながら、中国由来のラーメンを都のキャンペーンに使う滑稽(こっけい)さを指摘する。具だくさんの一杯、ではなくて一冊。
毎日新聞2011年11月6日 今週の本棚・新刊:『ラーメンと愛国』=速水健朗・著(リンク切れ)

 

ウェブメディアの書評、及びブログの感想リンク集

 

ラーメンは日本人の国民食とも言われるが、思えばそれは中華そばだし、原材料の小麦はアメリカ産だ。さらにラーメンの語を広げた即席麺の発明者は台湾人だった。ここに日米中台4か国のラーメンを巡る“想像力のTPP問題”が浮上する!?
「本まわりの世界」中森明夫 週刊朝日 2011年11月18日号

 

工業製品として成功したチキンラーメンは、自動車産業を大量生産によって変えたT型フォードになぞられていましたが、品質管理の父ともいえるデミングまで 登場してきて、おやまあとビックリ。『ゲームセンターあらし』や『こんにちはマイコン』といった子どもマンガを長年描いていたぼくが、大人向けの学習マン ガを描きたいと思って最初に選んだ題材が、品質管理をおこなう「QCサークル」だったからでした。
読書:『ラーメンと愛国』(速水健朗/講談社新書)漫画家・小説家 すがやみつる

脱サラしたおじさんが町の片隅で細々と営む……といったラーメン屋のイメージはもはや遠い過去のもの。就職難のこの世の中で、一から店を築きあげようとす る若者がああしたスタイルをとるのは、いわゆるヤンキー文化の傍流なのだろう、くらいに認識していたのだが、本書はその〝作務衣系〟出現のカラクリを解き 明かしてくれている。
日本にラーメンがもたらされてから、〝作務衣系〟にいたるまでの、日本人とラーメンのたどった道には、都市問題や国土開発、産業構造の移りかわり、メディア戦略の加速化等々が、複雑に絡み合い横たわっていたのだ。
KINOKUNIYA書評空間BOOKLOG 文筆家 近代ナリコ

タイアップ歌謡曲、自分探し、ケータイ小説。流行しているのに、批評されない。マジョリティなのに、軽視されてしまう。フリーライター速水健朗氏はそんな対象に着目し、刺激的な論考を展開する書き手だ。
“日本の国民食”の雑学的要素と論考が詰まった速水健朗『ラーメンと愛国』–書評家 石井千湖(WorldJC)


前半はラーメンの工業生産品としての側面に光を当て、後半はそれが流通し消費される中でメディアの果たした役割に着目している。中盤でベネディクト・アン ダーソン『想像の共同体』(NTT出版)を引き、ラーメンという共通語の発見によって雑多なイメージが集約されていったと指摘する箇所が本書の転回点だろ う。 【書評】ラーメン=国民食の謎を解く『ラーメンと愛国』批評家 杉江松恋(ウレぴ総研)

ラーメンが、「日本人」の国民食と呼ばれるようになるまでには、いろいろな伏線がしかれているが、もっとも大きな影響をあたえたのは、GHQ占領期におけるアメリカの小麦政策だった。
こうして、旧植民地からのひらめきとアメリカ小麦政策、フォーディズムが相まって、戦後のラーメン文化が幕開けする。
ake.note 日本思想史、近代稲作ナショナリズム研究者 山内明美

著者は上記のような安藤の仕事を振り返ったうえで、彼が《商品の“発明者”や新産業をゼロからつくった起業家》というよりもむしろ、《ラーメンを 大量生産可能な“工業製品として発明し、安価な保存食品として世界に広めた》人物であったことを強調する。日本においてフォードの生んだものづくりの思想 を実践し、もっとも成功を収めた人物こそ安藤であったというわけだ。
しかし、本書はラーメンの普及と変化を通し、グローバリゼーションにおけるローカライズ、日本人にとってのもの作り、そしてナショナリズムまで論じる紛れもない日本文化論である。帯にある「ラーメンから現代史を読み解くスリリングな試み!」は大げさではなく、いささか強引な展開を感じさせるところもあるが、些細な手がかりからぐいぐい引っ張り読ませるところなど『ケータイ小説的。 "再ヤンキー化"時代の少女たち』を思い出させ、惹きつけられるものがあった。
ラーメンは民主主義のメタファーなのか?『ラーメンと愛国』ライター・近藤正高(エキレビ)


アメリカのスーパーマーケットからショッピングモールが発展する過程に触れているあたり、本書が『思想地図Β』で著者が監修した「ショッピングモーライゼーション」のアナザーストーリーとして捉えることも出来そうだが、その比較はここでは割愛する。
『ラーメンと愛国』を読んだ。ライター ふじいりょう(Parsley)(BLOGOS)

愛国とは仰々しい単語だが、ラーメンとどういう関係があるのか。一例を挙げると、そのナショナリズムが顕著に見られるのが「作務衣化」である。ラーメン屋 のイメージカラーは赤白から紺や黒へ、白い調理服は作務衣へと、かつては中国風の意匠であったものが和風となった。店名も「麺屋○○」のように、今では 「ラーメン」とカタカナの看板を下げている方が少ない。店内には「俺たちは今、まさに旅の途中だ」「ラーメンは俺の生き様」などと店主直筆のラーメンポエ ムが掲げられ、自らの"ラーメン道"を主張するようになった。
戦後日本のソウルフード・ラーメンから現代史を読み解く『ラーメンと愛国』ライター 平野遼(日刊サイゾー)

ラーメンにまつわる作られた文化史を紐解くという、とても面白い本だった。実は「伝統」なんていうのは、10年や20年という割と短い時間の中で、いつの間にか出来上がって、その存在を誰も疑わなくなるものなんだということを改めて認識した。
速水健朗「ラーメンと愛国」を読んだ(what's my scene? ver.7.2)

本書を読んでいて、色々と思い出したり、新たに思いつくことが多々あったもので。
たとえば「チェーン店」ではなく「ご当人ラーメン」がブームになったのと、「J-POP」と何か関係があるのではないか、とかw
いずれにせよ、一読すれば知的好奇心が刺激されること間違いなし!
【オススメ】『ラーメンと愛国』速水健朗(マインドマップ的読書感想文)
この新書では、日本の「国民食」となり、話題に困ったときには「おいしいラーメン屋の話」で場をつなくことができるようになるまでの「ラーメンの歴史」が解き明かされていきます。
とはいっても、個々の店や味についての話というよりは、「どうして、『ラーメン』だけがこんなに特別な食べものになっていったのか?」が、社会の動きにあわせて、丁寧に語られていくのです。
[本]ラーメンと愛国 ☆☆☆☆(琥珀色の戯言)


ご当地ラーメンは地域の個性や特性を反映したものではなく、全国均質のファストフードの流れから出てきた食べ物だという事実。「作務衣」を着るラーメン屋 の主人のスタイルは、「日本の伝統」「伝統工芸の職人の出で立ち」を再現しようとして、まったく正統性のない捏造された伝統である、とか。最近の店に目立 つ、相田みつお的前向きメッセージを店内に飾る宗教色や、「麺屋武蔵」以降の国粋主義的傾向も指摘されている。
ラーメンと愛国(情報考学 Passion For The Future)
縦横無尽な語り口があいからずうまい。
あっちこっち話が飛んでしまいがち(それがおもしろいのだけど)な
前作より、ラーメンというテーマがすべてを吸収しているので、
筋が一本通っていて読みやすかった。
本『ラーメンと愛国』(Invisible Circus)

2011年11 月24日 (木)

『ラーメンと愛国』元ネタブックガイド このエントリーをはてなブックマークに追加

ラーメンと愛国 (講談社現代新書)
速水 健朗
講談社
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僕の著書『ラーメンと愛国』、発売一ヶ月。つい先日、増刷も決まり、媒体の書評だけでなくネットでの感想なども多くいただいています。
今回は、参考図書ではなくて、この本のラーメンを軸に日本の戦後史を振り返るという発想の元になったいろいろな本を取り上げたいと思います。つまり、元ネタブックガイドです。

ナポリへの道
ナポリへの道
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片岡 義男
東京書籍
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まず、本の中でも触れた片岡義男『ナポリへの道』。これは、戦後に進駐軍の兵隊がパスタにケチャップをかけたスナックが、戦後日本人の子どもの好物として定着していくという物語から、戦後の日米の関係を見出していくという、片岡義男らしいアメリカの影としての日本を描き出していく一冊。これのラーメン版が『ラーメンと愛国』でぼくがやりたかったことです。

 

シンセミア〈1〉 (朝日文庫)シンセミア〈2〉 (朝日文庫)シンセミア〈3〉 (朝日文庫)  

「ラーメンと愛国」の冒頭はアメリカの小麦戦略の話で始まります。読んでる人は「あ、シンセミア」と思うはず。阿部和重の「シンセミア」は、パン屋とレンタルビデオ屋が町の権力者として君臨する地方都市を戯画化して描いた長編小説。この小説におけるパン屋は、アメリカの権力の代行者。「ラーメンと愛国」は、ノンフィクションだけどラーメンという小麦食の食べ物=アメリカの影を通した戯画化したラーメンの戦後史をやりたかったんですよ。

菊とバット〔完全版〕
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ロバート ホワイティング
早川書房
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元ネタという意味で、実際に一番ぱくっているのはこれ。著者のロバート・ホワイティングは、「助っ人外人」として日本に来た大リーガーに取材して、日本の野球の特殊さをおもしろおかしく綴っている。つまり、アメリカから輸入されたベースボールが、日本人の生活の中に組み込まれ、日本人式にローカライズされて定着し、野球となった。この構図は、中国由来の支那そばが、日本式にローカライズされてラーメンになるのと一緒。実は「ラーメンと愛国」執筆中に考えていた仮題は「菊とラーメン」でした。前書きとかは、丸ごとぱくろうとまで考えていた。

〈民主〉と〈愛国〉―戦後日本のナショナリズムと公共性
小熊 英二
新曜社
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これはタイトルの元ネタ。内容的には真似た部分はないが、とても読みやすくおもしろい本。僕の本では日本が戦争に負けた理由を、生産技術という思想の有無としたが、こちらの本でも日本が戦争に負けた理由が前半で読み解かれる。この本では、日本人の組織の腐敗体質が原因とされる。これは、3.11後にこそ読まれるべき内容。
ぶっかけめしの悦楽
ぶっかけめしの悦楽
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遠藤 哲夫
四谷ラウンド
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これは、国民食と呼ばれるカレーライスのルーツを、インドや英国に求めるのなく、ぶっかけめしという、日本、アジア由来の食文化のルーツに求め、その歴史や文化を追求していくというもの。ラーメンのルーツを中国ではなく、小麦食、小麦の背景にあるアメリカに求めるという発想や、ストレートではない文化史の書き方として、この本の影響を受けています。まさか、著者にツイッター上でディスられるとはね(笑)。

というわけで、『ラーメンと愛国』は、これらの本からアイデアをパクっています。ありがとうございました&お世話になりました。

著書

about::フリーランス編集者・ライターの速水健朗のブログ。ディスコや歌謡曲などについて。

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